コインはYahoo時代に記事にしたものだ(写真は撮り直している)。

 

②としているが、同じ年に発行された別のタイプを以前アップしているからだ。

 

共和政時代のローマでは、1年に3種類くらいのデナリウス銀貨が発行されていた。コイン発行担当官はtresviri monetales(三人の造幣者)と言ってだな、3人いたもんだで、各々がデザインしていたんだな。これ……年号集めとかしたら大変よ。

――――――――――――――――――――――――――――
■共和政ローマ デナリウス銀貨(62 B.C.)②

 

発行責任者:ルキウス・アエミリウス・レピドゥス・パウルス

発行地:ローマ

表面:PAVLLVS LEPIDVS CONCORDIA、ベールと紐冠を被ったコンコルディア(調和の女神)の右向きの頭部。

裏面:トガを着たL. アエミリウス・パウルスの左向きの立ち姿、左のトロパイオンに触れている。トロパイオンに向かってマケドニアの王ペルセウスと二人の息子が捕虜として立つ。上にTER、余白にPAVLLUS。

 

アエミリウス・パウルス(紀元前229年~紀元前160年)は、第三次マケドニア戦争で活躍したローマの執政官。

ローマ軍団(レギオン)とマケドニアのファランクスとが衝突したピュドナの戦い (紀元前168年)は、古代地中海世界の戦史には必ず取り上げられる戦役といって良いだろう。

 

平坦な地形で対峙した両者。

開戦直後はマケドニアのファランクスが押しまくったものの、ローマ軍が山に後退したところで状況が一変。起伏のある地形でファランクスが乱れが生じ、これに乗じたローマ兵が近接戦闘を挑んで形勢が逆転した。

結果、マケドニア軍は25000人以上の戦死者を出したが、ローマ軍の戦死者は100に満たなかった。

#古代地中海世界の会戦ではしばしばこうした一方的な結果が見られる。

 

このコインはアエミリウス・パウルスの一門に属した人物が、祖先(曽祖父説あり)の業績を称えたものになる。

 

なお、第35回のAWでは以下のコインが出品されていた。

 

 


 

 

 

状態は裏面が微妙ではあるのだが、そこはかとないレインボートーンが良い(と思う)。ええ、こういうのが好きなんですよ、こういうのが。

 

《データ》
カタログ番号:Sear366
年代:62 B.C.
発行枚数:-
重量:3.36g
材質:銀
状態:販売社VF
※《ROMAN COINS AND THEIR VALUES VOLUME ONE》(著:David R Sear、発行:Spink)より。

――――――――――――――――――――――――――――

今月のHeritageのどれかに参加したいと思っているのだが、ちょっと迷っている。