大田区から宮城県東松島市復興救援ボランティア活動の報告Ⅱ

第三次1回目

平成23524()6時大田区役所前出発、27()1930分帰着、

参加者25(大田区内在住・在勤・在学者、年齢層20代から70代までの男女)

活動内容

●宮城県東松山市矢本大曲地区の屋外の片づけと汚泥処理

25名を6名又は7名のA・B・C・D(私の班)の4班に分かれ、作業内容に応じてA班(6)のみ、A・B班(12)、全ての班(25)などその都度、状況に応じた活動。

1日目:524()午後

12時宿泊拠点である浦嶋荘(宮城郡利府町浜田海岸)到着

1230分ボランティア拠点(以下サテライトと呼ぶ)矢本大曲運動公園到着

13時から15時迄サテライトの指示に従いMさん宅の道路面の杉林を25名での清掃活動。

●雨ガッパ・長靴・厚手のゴム手袋・防塵マスク・ゴーグルでの完全装備での作業。皆、大量の汗をかき、下着までびっしょり。

●津波で流されてきた、アシなどの草の茎や木の枝、畳や物置、玩具や写真など生活を感じさせるもの等、様々な物を撤去。

●清掃活動終了後、家屋内に案内され、家主女性と情報交換。家屋内で地震に会い、津波に気付き、ちゃぶ台に登り、その後、屋根の上まで登り、翌朝まで水が引くのを待ったと話して頂きました。

●津波は何度も来た事、土壁が崩れや事など、家屋内の状況も細かく説明して頂きました。

近所から助けて、「助けて」「助けて」と叫ぶ声が聞こえて来ても、自分たちの事で精一杯で何もできなかったとの事です。


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★作業終了後、サテライトから浦嶋荘まで移動は宿のマイクロバス。各自、入浴・持参の食事を済ませ20時からミ―ティングを実施、衣類や装備の選択、作業・休憩のタイミング等について話し合いました。

2日目:525()午前

8時浦嶋荘(宮城郡利府町浜田海岸)出発、

830分、サテライト(矢本大曲市民センターに変更)に到着

9時から11時迄サテライトの指示に従い着付け美容室Mの庭のヘドロ除去後、石灰散布後、砂利5りゅうべい(m3)を庭に敷き詰める作業。A・D合同の12名で活動。

●今回、上着は長そでポロシャツ、下は作業着の上に雨ガッパ、長靴、軍手、防塵マスク・ゴーグルでの装備での作業。砂利の積み下ろしはきつく、背筋を曲げず、足を上手く使い、腰に配慮した作業を心がけました。皆、大量の汗をかき、衣服は汗でびっしょり。

●女性店主と情報交換。津波で近くの川の堤防が決壊、海岸からの津波と合わせて水の流入から逃げ回り、浸水後も水が完全に引くの何日も必要だったとの事。近くの墓石の上に自動車が乗り上げ、床の上にも大量のヘドロ・土砂がたまり、何百袋もの土砂を運び出したとの事です。

2日目:525()午後

13時からから15時迄サテライトの指示に従いE宅の家屋床下のヘドロ除去作業。A・D合同の12名で活動。

●ヘドロ除去作業のため、半数は上・下共に雨ガッパ着用、長靴、厚手のゴム手袋、防塵マスク・ゴーグルでの完全装備での作業。床下ヘドロ除去は体勢が悪いと、腰を痛めるため、足場に気を付け、長時間同じ態勢を取らないように注意して作業。

★各自、入浴などを済ませた後、大田区の備蓄炊き出し用のわかめご飯(50人分を)熱湯を用いてつくり、皆で夕食としました。

3日目:526()午前

8時浦嶋荘(宮城郡利府町浜田海岸)出発、

830分、サテライト(矢本大曲市民センターに変更)に到着

9時から11時迄サテライトの指示に従い、M宅の庭の家屋下のヘドロと土砂の除去作業。C・D合同の12名で活動。

3日目:526()午後

13時からから15時迄、C・D合同の12名で午前中の作業の継続。

●床下はヘドロよりも大塩土と呼ばれる地元の砂混じりの土が多く、元々の土か、畑から流入した土かの区別がつきづらかった。ただし、土砂の除去後は床下の木材の基礎が現れ、床下の風通しが良くなったと家主から喜ばれました。

★M(三浦)宅は一家で津波から慌てて避難、後日、流されたと思い込んでいた家屋が、GPSで残っていた事が判ったとの事です。

4日目:527()午前

6時起床後、各自食事を済ませ、今日の作業の準備と共に、帰宅の荷物を整理・まとめる。

8時浦嶋荘(宮城郡利府町浜田海岸)出発、宿の方が気をきかせて、津波被害の大きい石巻線野蒜駅周辺を通ってサテライトへ。

830分、サテライト(矢本大曲市民センターに変更)に到着

9時から11時迄サテライトの指示に従いA宅の庭の樹木除去など、清掃・かたづけ作業。

A班単独の6名で活動。

●今回、上着は長そでポロシャツ、下は作業着の上に雨ガッパ、長靴、軍手、防塵マスク・ゴーグルでの装備での作業。

●庭木を大事にする女性家主の指示に従い、海水に浸った影響で枯れてしまった樹木を剣先スコップで丁寧に根切りを行い除去。

★A宅女性家主と情報交換。津波で近くの川の堤防が決壊、海岸からの津波と合わせて水の流入から逃げ回り、自動車は浮いて廃車、物置など庭の物も浮いて流出。水が完全に引くの何日もかかり、特に満潮時には水位が上がるため、干潮時に合わせて避難場所から自動車で来て、家屋のかたづけを毎日、少しづつ行ったとの事です。

◆昼食後、新たに到着した3時回目のメンバーと顔合わせ後、1315分サテライト(矢本大曲市民センターに変更)を出発、1930分大田区役所に到着

まとめ

★今回、大田区が震災等で被災地になった時の復旧・復興に少しでも役立てるための多くを見て、聞いて、感じて、考えました。そして、多くの事を吸収する事が出来ました。

★前回(第一次3回目42627)に続き、2回目の参加でしたが、前回と違い34日の活動であり、飲料・食糧、服装や装備を念入りに選んで用意する事が出来ました。

★水田や畑のヘドロの多くのヘドロは乾いた状態ですが、家屋下のヘドロは今なお、水分を多く含んでいる状態です。

★宿泊拠点である浦嶋荘には多数のボランティア団体、全国の団体から派遣された代表者が宿泊していて、これらの方とも情報交換する事も出来ます。兵庫JAの方からは、宮城県亘理 (わたり)町のイチゴ農家受け入れ支援計画の提案の話など教えて頂けました。

★復旧・復興の主役はあくまでも被災者でボランティアはあくまでもサポート役、しかし、被災地の方からはボランティアの方々と話すだけでも気持が前向きになれると喜んで頂けました。

★午前2時間・午後2時間、途中適度に何度も休憩を取りながら作業を行い、夜は布団でぐっすり眠れる。20代から70代まで、男女問わず誰でも無理なく最後まで活動できる大田区災害復興ボランティアの仕組み・運営方法などのスキルは、他の区でも活かすべきだと思います。

★作業前・後に念入りのストレッ指導にをして下さったK氏の存在など、参加者の人材にも恵まれました。

★前回の石巻線陸前赤井駅周辺での活動のみ、今回は矢本大曲地区で広く活動。前回より海岸や堤防が決壊した河川から近く、住宅破壊を始め、震災時は多くの方が亡くなっている地区でした。サテライト(矢本大曲市民センター)から1㎞程海岸よりの大曲浜地区は約570世帯のほとんどが津波により流失や全壊。2ヶ月経った今なお、倒壊した家屋、陸に上がった大型の船など、大破した車両の数々、自衛隊以外手に負えない状況です。


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★サテライトから500m海よりでは、100人規模の自衛隊員が遺体捜索活動をしておりました。



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★被害の大きかった石巻線野蒜駅周辺野蒜(のびる)地区の被害状況は1月前と比較して、道路付近は少し片付いていましたが、全体はあまり変わっていない状況に思えました。

★矢本大曲市民センター前方の元田んぼ上に巨大な赤いうきがあり、その近くの地盤沈下で出来た汐溜まりに、百羽以上のウミネコが「ニャー、ニャー」と群れていました。



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帰宅路のバス中では各自の感想・反省が出されました。

●良い仲間とチームワーク良く、楽しく活動が出来た。

●ヘドロを取り除いた後、本来の土が見えた時の、「懐かしい色」と言った家主の声が忘れられない。取り除いた雑草も、大切そうにプランターに植えかえていた。

●「田んぼは難しいが、畑は絶対やる、2年後には作物を出荷する。」と力強く語る、被災者の決意に感動した。