平成23年5月5日(木) 17時00分 ~ 20時00分
仙台・宮城を中心に活動されている「宮城復興支援センター」の茂木秀樹さんを迎えての情報交換会、場所:大田区被災地支援ボランティアセンター(大田区民活動支援施設蒲田 消費者生活センター2階多目的スペース)
Ⅰ「宮城復興支援センター」の成り立ち
3月11日14時46分M9.0東日本大震災
3月15日宮城復興支援センターの名称、7年~10年先を見据えての方向性決める。
3月18日宮城県仙台市宮城野区鉄砲町246-3に拠点を置く。
Ⅱボランティアセンターのスタッフの体制
◆現場常駐スタッフ
●3月15日から有償の職員4名採用
人命が関わるもの、迅速な判断が必要なもの、ミスが致命傷になるもの
⇒有償のスタッフに権限と責任を与える。
有償の職員4名には関西大震災・中越地震の事例(全てのカテゴリー)を知識武装させる。ケーススタディー(良いもの・悪いもの)は一通り目を通させる。
◆ボランティアスタッフ
●ボランティア派遣が上手くいかない理由
◎仕事に対して⇒人を配分するのではなく
×人に対して⇒仕事を配分している現状。
●ボランティアスタッフのルールづくり
ボランティアリーダー《最低でも1ヶ月間やれる人》
31日に入り、31日に出て行く。
ボランティアスタッフ《最低でも1週間やれる人》
月曜日に入り、月曜日に出る。
★ボランティアに入る時とで出る時の入れ替わり時に申し送りをする。⇒余計な説明が不要になる。
Ⅲ救援物資の分配の現状
◆宮城県に分配能力無し⇒物資を直接送らないようにする。
500人以下の避難所に物資が届いていない。
⇒宮城に不要な物資を入れない。不用な仕事を入れない。
◆被災地の外にバックアップセンターを設ける。
支援物資は新潟に集め⇒仕分け⇒1段ボール1種類の物資⇒物資を被災地に届ける。
◆3月18日に10tトラック1台から支援1便が始まった。
◆地域に根差した団体(町内会・自治会)から依頼を受け⇒物資の足りない避難所に必要な物資を届ける。
★片道しか燃料のないトラックで来て⇒物資を積んで、ガソリンを入れて帰す。
●500人以下の避難所に物資が届いていない理由。
★送られてくる物資が混ざっているため。バックアップセンターシステムが必要
◆不要な物を持ち込まれて⇒仕分けして⇒捨てている現状。
①不要な物を持ち込まない。②不要な仕事をさせない。
救援物資の申請(電話での受け付けとFAXにて申請書記入後送信)
申請団体(団体名・連絡先)と配布先(団体名・連絡先、受取方法と日時)、要請物資と具体的な数量の記入⇒FAX送信
Ⅳ「宮城復興支援センター」の方針
◆システムづくりとルールに則って活動。
個人の物資の持ち込み、事前連絡なしのボランティア志願者は断っている。
◆5月5日現在の宮城県の状況
生命維持のための物資は行き渡っている。ただし、2tトラックの入らないような奥地では炊き出しの支援がまだまだ必要である。
◆仮設住宅建設後の心ケア
①財産も仕事もない状態が自殺に繋がる。
②生きる目的などプラスに転じる心のケア。
③毎週実施する音楽やカルチャースクールで毎週の楽しみをつくる。
④毎週・毎週の小さな目標の積み重ねが、生きる目標に繋がる。
◆復興支援のために今後必要な事
宮城県内の企業の売上を増やし、雇用を生み出す。
●6月から被災地のボランティアバスツアー
1台の大型バスをマイクロバス4台に分け、マイクロバス1台につき2名の現地女性スタッフを雇用する。
◆リベートを貰わない。
しがらみなしに支援金・義援金・補助金だけ宮城県を復興させる。
「宮城復興支援センター」は宮城県の継続的・持続的な復興支援のための受け皿とコーディネーターとして、今後7年から10年かけて宮城県の企業を復興などに関わっていく。
Ⅴ支援物資は被災者が分配してはいけない
◆分配者が権力を持ち、分配者の好き・嫌いがはっきり出てしまう。
◆物資の取り合い・暴動に繋がる。
●分配は第三者が行うべきである。
まとめ
阪神や中越の震災時に中・小規模の避難所に物資が上手く届かなかった現状を踏まえ、宮城に不要な物資と不要な仕事を入れないシステムづくりとルールに則って活動を実施。宮城県の復興支援のための受け皿とコーディネーターとして、今後7年から10年かけて宮城県の復興に関わっていくとのことです。
茂木さんは阪神や中越の震災に関する復興支援の失敗例の多くを検証・検討し、被災地への支援のあり方に対しての青写真を震災前に描いていたという事です。震災発生直ぐに、ボランティアセンターのスタッフの体制と被災地の外にバックアップセンターを設置するなどのシステムづくりを行い、3月15日には「宮城復興支援センター」を立ち上げ、3月18日に支援活動を開始しました。
今後、復興支援として被災者の生きる目的などプラスに転じる心のケアや宮城県内で雇用を生み出すボランティアバスツアーなど様々なアイディアの創出・実行が重要だという事です。
大田区から被災地への支援活動ためのあり方を考えると共に、今後、大田区が被災地になった場合の復旧・復興のためのシステムづくりに大きく生かせる、大変有意義な情報交換会でした。