朝から小室圭さんのニュースが流れてきて耳に入ってきた。
いつもなら右から左へ抜けて行くワイドショーが、
なぜか引っかかって反応する時、
そこに何らかのメッセージがあったりする。
小室さんのニュースの後、Facebookで作家さんがシェアしていた
〝毒親に差別されて育てられた私〟
という今流行りのnoteという
自叙伝的なブログのリンクが目に入ってきた。
〝弟を溺愛する母親に育てられた私〟
という手記のようなブログを読んだ。
なぜ、この2つの情報が朝から私の元へ入ってくるのだろう?
そこには〝私は重要でない〟
というセルフイメージが潜んでいた。
小室圭さんの母親にお金を貸したのに、婚約破棄させられ、
お金も返してもらえない、元婚約者のセルフイメージも、
母親に差別されて育てられた人のエピソードも、
共通して入ってくるのは
私は差別されている
重要視されていない
というイメージだった。
自分にも、まだ、このイメージがあるのか?
自己ワークで探っていくと、まんまとあった(笑)。
私の場合は、母からではなく、父に対するイメージであった。
今は亡き父に対して「私は重要視されていない」
というイメージがまだ残っていたのだ。
そういえば、姉の成人式は着物を買ってもらえたのに、
私は買ってもらえなかったな、とか、
姉は大学に出してもらえたのに、私は出してもらえなかったなとか
金銭面でも色々あったけど
(うちの経済状況が第一子を大学に出すだけで精いっぱいだったのもあるが)
それが、4歳の頃から、自分に既にあったのには驚いた。
小さい頃、姉や兄だけ遊園地に連れていってもらって、
私だけ連れて行ってもらえなかったり、
ひとりで家でお留守番することも多かった。
そんな自分のことを、いつからか
〝私は周りから重要視されてないんだなぁ〟
というイメージが出来上がっていた。
そこを自己ワークで解放してあげた。
哀しいエピソードや、自分だけ親に援助してもらえなかった
エピソードは数多く出てくるけれど、重要なのはそこじゃない。
その時の淋しかった思いや、重要視されてないように見えていた
自分のイメージに、どれだけ寄り添い、
そのイメージを受け入れて、受容してあげるか。
そこが出来れば
〝重要視されていなかった自分〟も
〝他と同じようにして
もらえなかった自分〟も
今ここで〝わたし〟という
本当の愛であり
親である自分に見つけられ
やっと受け入れられ
愛に還って行く。
私たちは
「何かをして欲しかった。
何か証拠が欲しかった」
わけじゃない。
この未消化なまま閉じ込められていた思いに
ただ、気づいて
受け入れて
欲しかっただけ
ということが、解る。
★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・・:,。☆゚・:,。,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆・
自分の中にあるイメージに
自分で気づき受容するセッションはこちら☟