久しぶりにドラマを初回から見た。
「なぜ彼女は自殺したのか?」
自殺したクラスメイトの原因をめぐり、
クラス全員を人質に立てこもった教師と生徒の
渾身のやりとりが展開されるドラマ。
バトル・ロワイアルのような内容?と思ったら若干そうではなく、
先が読めない展開に次回が気になる。
これを見てると、私たち生きている人間も、もしかしたら
「日々緩慢な自殺を
しているのかもしれない」
と思った。
自分の身体を痛めつけ、無理に周りに合わせてやっていること。
好きなことだから、やりたいことだから、周りが喜んでくれるから、
楽しみにしてくれてるから、魂が喜んでるから、、と
「自分にも周りにもいいこと」という条件をつけて、
本当のいのちの声を無視して、いのちを度外視して、
体にムチ打ってやってるのかもしれない。
私たちは、ついつい
「何かのためになるのはいいこと」
という幸福論ストーリーに踊らされて、
いのちをすり減らしているのかもしれない。
自分が好きなこと、得意なこと、というのも、
疑ってかかった方がいいと、思う。
何故なら、自分の好きなこと、得意なことは、
周りから見ても分かりやすく、頼めるし、お願いできる。
結果、自分が望んでないことまでお願いされたり、
やらされるはめになったりする。
ドラマでも水泳が得意な周りから一目置かれる存在だった
少女が自殺する、という内容だった。
自分の好きなこと、得意なことが、自分を無理させてまで、
周りの期待に応えるような過剰なエネルギーになってないか、
自殺する人も、病気になる人も、同じなのかもしれない。
「逃れたくても逃れられない何か」を背負った時に、
人は死を選ぶか、もしくは体が死を選ぶように、
無意識にセッティングするのかもしれない。
肉体の死は、生きている限り、つきまとうあらゆる役割や
データからの究極の解放、逃げ道になるからだ。
そこに逃げ場所を求めなくてもいいように、今ここで、
あらゆる役割やデータを下ろしてしまえばいい。
最初から、自分には、生きること以外、
何もなかったと、完全に降伏してしまえばいい。
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無意識のデータに気づき
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