周りは楽しそうにはしゃいでいても、

 

 

 

自分ひとりだけ、そのノリについていけないとき。
 


 

世間では「これが幸せ!」という絵に描いたモデルケースに

 

 

 

自分だけがあてはまらないように感じるとき。
 


 

周りの話がまったく耳に入ってこないとき、

 

 

 

 

みんながいい!と絶賛するものの良さがわからないとき、
 

 


 

自分だけが、周りとズレているように感じるとき。
 
 
 
そこに淋しさや、孤独感、焦りや、何かが湧いてくるとき。
 
 

 

それは

 

 

 

自分の中に取り残された

データがあるとき
 
 

 

今ここで楽しめない、周りと一体化できない、

 

 

 

 

はみ出している何かがいると感じるとき、
 


 

〝忘れないで、ここにいるよ〟という自分がいる。
 
 

 

そこを無視して、ムリヤリ周りに溶け込もうと努力したり、

 

 

 

 

周りに合わせて自分の肉体だけ動かしていると、
 
 

 

 

どんどん周囲と〝剥離〟してきて、

 

 

 

 

どんどん自分が今ここにいられなくなる。

 

 

 

 

今ここじゃなくなり、生きている実感がなくなる。
 
 

 

 

そういうときは周りは置いといて、とにかく真っ先に

 

 

 

 

〝自分の中にあるものを迎えに行く〟
 

 


 

〝自分〟とは、あらゆるデータの集まり。
 
 

 

 

悟って自分がいないとわかっても、今ここに縁するもの、

 

 

 

 

肉体、思い、感情、感覚、それが現われている限り、

 

 

 

 

それらを無視してはならない。
 
 

 

私たちは何者でもないが、今ここに現れてくるものを、

 

 

 

 

すべて受け入れている側であることを、
 
 

 

忘れて、誤魔化して、見なかったことにしてはならない。
 
 

 

ほっとけばすぐ消えて行くからと、なかったことに

 

 

 

 

あぐらをかいて悟り顔して、済ませていると、
 
 

 

現象の目に見えている部分しか察知することのできない、

 

 

 

 

肉眼レベルの誤魔化し人生になる。
 


 

気づくまで、受け入れるまで永遠におさまることのない、

 

 

 

場に残った〝無視したデータたち〟が、

 

 

 

現実として姿かたちを変えて現象として現れてくる。
 
 

 

現れてからでも、遅くはない。
 
 

 

今ここで出てきたものを迎え入れてあげる。
 
 

 

ここにくるということは、何らかの縁があったということ。
 
 

 

そこを拾い上げて見て、受け入れて、愛に還す。
 


 

〝ごめんね、今まで、

ずっと無視してきて

 ごめんね〟
 


 

人生とは、たしかに自分はいないが、ここに縁するものが

 

 

 

 

現われている限り、そこに向き合い、受け入れ、

 

 

 

 

愛す(愛に還す)繰り返し。
 

 
 
なかったことに、見ないことにしているのは、

 

 

 

 

愛のチカラを、ただ諸行無常オチに眠らせているだけ。
 
 
 
私たちの正体は、見て見ぬふりしてなかったことにして

 

 

 

 

済ませるような、そんな生半可な一瞬だけのものじゃない。
 
 

 

もっと、ここにある永遠の愛のチカラを信用していく。
 
 
 
すると、本来の愛のチカラが、あなたという姿に変えて、

 

 

 

 

いのちの輝きを取り戻していく。

 

 

 

 

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あなたの愛のチカラを発揮し

いのちの輝きを取り戻す

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