私たちの苦しみが生まれる理由は、
このキャラクター(肉体)を自分だと思い込み、
この体に起きた出来事(ストーリー)を
自分の人生だと思い込み、
現象を思い通りにコントロールしようとする
プレイヤー・自我目線で何とかしようとし、
キャラクター(肉体)とプレイヤー(コントロール・自我)
の視点から出られないとき。
この肉体に起きたことをプレイヤーである自我が
「愛します、許します、受け入れます」
と表面的にやったところで、
本当の自己受容や愛には還らない。
世間で出回っている自己受容の題目通りに、
エゴが学習し、エゴを一見受け入れているかの
ように見せるだけで終わる。
そういった表面的な自己受容は、
表面的なエゴを受け入れるモーションだけで、
本当の愛の統合には至らない。
つまり表面的な自己受容をやってると、
癒しても癒しても癒し切れないプレイヤー(エゴ)が残るので、
長年の癒しジプシーになる。
本当の愛の視点とは、エゴであるプレイヤーも、
キャラクターである肉体も、
すべて包み込んでゆるしている存在。
このすべてを受容している
愛の視点からの自己受容がないと、
どんな癒しのアプローチも表面的で終わる。
すべてを観ていて、すべてに気づいている、
この受容している愛の、受け入れ感がガッツリないと、
どんなに自分を許したところで、結局はまだ、
自分をキャラクターやプレイヤーだと思い込んでるので、
延々と癒しの旅を繰り返さなくてはならない。
キャラクターやプレイヤーになりすまして、
それを自分だと思い込んで、あーでもないこーでもないと、
本当の自分から延々と逃げ回るゲームから、
そろそろ抜けてみませんか?
本当の自分は、そんな小賢しい、甘っちょろい、
ちっせぇ存在なんかじゃない。
どんなに学習したエゴでもない、
思い込んだストーリーでもない、
この肉体でもない、
もっともっと深くてデッカイ、
すべてを包み込んでる愛だって、
もうそろそろ、いい加減、
気づいてもいいんじゃないでしょうか?
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