色と空。
この世はすべて自分の内側の現し世であり、
好き勝手なイメージで思い込んだ
人間劇場が繰り広げられている。
悟りの視点は素晴らしく、究極それしかないけれど、
人間劇場に入り込んで苦しんでる時に、
呼吸に集中して~お腹に意識を向けて~
カタチだけ外側から悟りっぽいことやっても
意味がないし、解決にはならない。
そーゆー時はあえて人間目線を使って、
内側から癒しの手段を使う。
ひたすら自己と向き合い、
意識の奥深くに潜んでるものを見つけにゆく。
無意識下の奥深いところにあるイメージは
何十年坐禅したって、瞑想したって、
呼吸法やったって、出てきやしない。
たとえ稀に出てきたとしても、
そこから癒しのアプローチをしなければ、
積年の思いやイメージたちは、
呼吸や体に意識を向けただけでは愛に戻らない。
悟りのアプローチだけでも片手落ちだし、
癒しのアプローチだけでも
延々と続く癒し作業は終わらない。
どちらのアプローチもないと、
本当の意味での人間劇場の
キャラクターやプレイヤーからは、
なかなか抜け出せない。
体が見えている限り、キャラクター(体感覚)もあるし、
プレイヤー(自我)もあるし、全体の気づきの中で
いまここに、くつろぎ続けるのは難しい。
だからこそ、キャラクターやプレイヤーに気づき続ける、
全体の視点と、人間目線からの癒しの視点、どちらも必要。
悟りも癒しも突き詰めれば同じところに辿り着く。
悟りの視点だけでは救われないイメージや、
癒しの視点だけでは救われない存在に、
どちらも両方から働きかけて気づくことができるのが、
私たち人間として現れてる愛の、
粋な表現であり視点ではないかと思う。
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