スエズ運河はパナマ運河と並ぶ国際海上輸送の要衝で、紅海と地中海を結ぶ193kmの海面式運河です。

 

フランス人のレセップスの主導により計画は進められ、フランスとエジプトの出資により設立された国際スエズ運河会社が1859年から10年の歳月を費やして完成しました。

 

初期には約4万人のエジプト農民が徴用され、難工事のため犠牲者は2万人に及んだと言われています。

 

その後、経営難に陥った運河会社を1875年にイギリスが買収しますが、1956年にエジプト政府によって国有化され、現在はスエズ運河庁がその維持・運営に当たっています

 

スエズ運河:Britannica

 

運河通航時には運河庁所属の水先人が操船しますが、敬虔なイスラム教徒である水先人は砂漠の中を掘削した直線水路部に差し掛かると、船長に操船を頼んでお祈りを捧げることも私の現役時代にはありました。

 

ところが、運河が拡張され、通航船舶が大型化するに従って座礁事故が増加し、水先人はお祈りどころではなくなっています。

 

現在の運河通航許容船型は次の通りです。

巨大船が船幅の3倍程度しかない可航幅の運河を延々と190km余り通航すれば、何が起きても不思議ではありません。

 

スエズ運河通航許容船型

全長:400m

船幅:77.5m (喫水:9.1m)

喫水:20.1m(船幅:50m)

浸水横断面積:1,006m2以下

水面上高さ:68m(橋桁の高さ:70m)


スエズ運河の通航許容船型:国土交通省

 

過去10年間で25件の座礁事故が発生しており、2021年3月23日に発生したコンテナ船Ever Givenの事故では離礁に6日間を要し、422隻の滞船が発生しました。

 

3月23日午前7時40分、北航船団後尾の同船は運河に入って間もなく、右方向から風速20mのサンド・ストームを受けて、強大な風圧力と回頭モーメントで操船不能となり、運河を塞ぐ形で座礁しました。

 

座礁したEver Givenの衛星写真:NASA JSS ISS

 

運河通航中の速力は一般船は16km/h、タンカーは14km/hに制限されており、操舵によって対抗できる風速は大型船の場合は特に限定されます。

 

Ever Givenの要目は次の通りで、満載時の側面受風面積は15,000m2程度と推定され、運河を安全に通航するための横風の風速は数メートルが限度でしょう。

 

Ever Givenの要目

全長:400m

船幅:58.8m

深さ:32.9

喫水:14.5

総トン数:219,079

載貨重量トン数:198,886 MT

コンテナ積載数:20,124 TEU(20フィート・コンテナ換算個数)

馬力:79,500 HP

航海速力:22.8 kn(42.2 km/h)


荷役中のEver Given:kees torn

 

運河の水路の形状と想定される外力条件を基に綿密なシミュレーションを行って、通行許容船型は決定されています。

 

また、シミュレーション結果に基づいて運用基準を作成し、水先人の操船シミュレータ訓練を行なって、気象予報システムの支援を受けながら万全の体制で実際の運用は行われます。

 

ところが、地球温暖化の影響で運河地帯における異常高温、それに起因するサンド・ストームの発生頻度が増加しており、これらの局地的な異常気象現象は予測が非常に困難なのです。

 

緊急時に運河の側壁に係留できるよう、両岸には125m間隔で係船柱が設置され、通航船には係船作業用の小型ボートとクルーが搭載されますが、操船不能になれば万事休すです。


スエズ運河通航中のタンカー:スエズ運河庁

 

パナマ運河もレセップスによって計画され、1890年にフランスの主導により海面式運河の建設が開始されましたが、1899年に計画は断念され、その後を引き継いだアメリカにより1905年ー1914年の工期で完成しました。

 

1979年に運河の主権はパナマに返還され、両国の共同管理を経て1999年には全ての施設が返還されて、運河地帯に駐留していたアメリカ軍も撤退しました。

 

パナマ運河は全長82kmで、スエズ運河とは異なる閘門式が採用されています。

 

パナマの太平洋側と大西洋側の海面の水位差が大きく、パナマ地峡には山岳地形があるため、川を堰き止めて人工湖を造成することにより運河の水位を上昇させ、運河両端に設けた各3基の閘門で通航する船舶を運河水面まで引き上げ、通航後は海水面まで降ろすという構造です。

 

パナマ運河の構造:Wikipedia


パナマ運河の閘門(太平洋側):八千代エンジニアリング

 

閘門式運河を円滑に運用するには、運河の計画水位を維持し、閘門の操作に十分な水量(1隻あたり19万トン)を年間を通じて確保することが必要となります。

 

2016年に完成した運河の拡張工事により通航許容船型は次の通り大型化され、その運用の困難度はさらに増しました。

 

パナマ運河通航許容船型

全長:1,200ft(365.8m)

船幅:168ft(51.2m)

喫水:50ft(15.2m)

水面上高さ:190ft(57.9m)

 

新設された閘門:パナマ運河庁

 

そして、地球温暖化と2023年6月に発生したエルニーニョの影響で同年のパナマの雨季(5月−12月)は干ばつとなり、運河の計画水位を1.2ー1.8m下回る状態が続いています。

 

運河通航船の喫水制限をするだけでなく、通航隻数を通常の1日38隻からその5−6割に減らさざるを得ない状況となり、異常滞船が発生しているのです。

 

水位の下がった人工湖(Gatun Lake):NHK・パナマ運河庁


2023年11月10日のパナマ運河の滞船状況(太平洋側):Splash

 

両運河は世界の物流のうち重量ベースで9割以上を担う国際海上輸送の要衝です。

 

しかし、両運河は船舶の大型化に対応する構造上の限界と加速度的に進む地球温暖化によって、その機能を喪失する危機に直面しています。