パートナーのLaiが夕刻に外でゴミを燃やしていると、30前後で2歳くらいの女の子を連れた女性に「何かお手伝いできることはありませんか?」と話しかけられました。

 

メイドをしていたけれど子供ができたので解雇され、養鶏場で働く夫の給料2,700ペソだけでは生きていけないので、手伝い仕事を探し歩いていたのです。



 

シングル・マザーで苦労したLaiは困っている女性を見ると放っておけません。

 

彼女が裏庭の草取りを頼んだところ、その女性は翌日の早朝から夕刻まで頑張って1日で終え、2千ペソを手にして笑顔で帰っていきました。

 

Laiが用意した朝食と昼食を女の子と食べながら、美味しい料理をお腹いっぱい食べるのは久しぶりだと言ったそうです。



我が家の裏庭

 

給料2,700ペソは当地方の最低賃金382ペソ(約950円/日)の7日分にしかなりません。

 

フィリピンの10月の失業率は4.2%、不完全雇用率は11.7%でしたが、当地方の失業率・不完全雇用率は全国平均の約2倍です。

 

フィリピンの失業率と不完全雇用率(2019−2023年)(PSA)


 

フィリピンの2021年の貧困率は18.1%、食の貧困率は5.9%でした。

 

同年の貧困線、食の貧困線は次の通りです。

 

貧困線:5人家族で月収12,030ペソ未満

食の貧困線:5人家族で月収8,379ペソ未満

 

フィリピンの貧困線・食の貧困線と貧困率・食の貧困率(PSA)


 

下表はフィリピンの所得階層別の家族割合(2021年)です。

低所得層50.9%、中所得層46.8%、高所得層2.3%でした。

 

2012年以降の継続的な経済成長により、中所得層の割合が増加してはいますが、29.2%を占める低中所得層の定義(月収18,200ー36,400ペソ)についてはフィリピン国民は納得しないでしょう。

 

1日600ー1,200ペソの家族収入では子供一人さえ大学にやることはできません。

 

フィリピンの所得階層別の家族割合(2021年)(PSA)


 

フィリピンにおける貧困撲滅と中所得層拡大の最大の障害は、少数の富豪が経済を支配し、政治にも強い影響力を持っていることです。

 

経済的支配と政治への影響力を手にした富豪が自らそれを手放すことはありません。

 

フィリピンは1898年から1946年までアメリカの植民地となり、1935年には独立準備政府が設立されたにも拘らず、日本の敗戦後のようにアメリカによる農地改革、財閥解体などがなされることはありませんでした。

 

アメリカはスペイン植民地時代の支配構造をそのまま植民地統治に利用したからです。

 

フィリピンの9人の富豪は5千5百万人の国民以上の富を有する(Yahoo!ニュース)


 

一方、日本は敗戦後にアメリカを中心とする連合国が実施した平和憲法の制定、農地改革、財閥解体、労働改革などによって驚異的な経済成長を遂げ、一億総中流を実現しました。

 

しかし、バブル崩壊後に政府・日銀が低金利、円安、既得権益保護政策を安易に長期間継続したため、企業は価格競争モデルから高付加価値モデルへと転換する努力を怠ったのです。

時代遅れの企業で旧態依然とした働き方を続けていれば、労働者の実質賃金は低下します。

 

その結果、2021年の相対的貧困率(国民の所得の中央値の半分未満の所得しかない人々の割合)は15.4%に達しています。

 

保守政権を支配する既得権益団体と許認可権の城を築いた官僚機構がその権益・権限を自ら手放すことはありません。

 

日本の相対的貧困率の年次推移(日経・厚労省)

 

フィリピンには民衆革命の歴史がありますが、貧困を撲滅するための革命は期待できず、日本には頼みの連合国はもういません。