6,500万人の犠牲者を出した第二次世界大戦を経て、国際協力と対話を通じて紛争を平和的に解決する必要が高まり、1945年に国際連合が設立されました。
そして、戦争の惨害を終わらせるとの強い決意のもとに制定されたのが国際連合憲章です。
それは、パリ不戦条約の「侵略戦争以外は容認せざるを得ない」というスタンスから、「限定された自衛戦争以外は否定する」というスタンスへ逆転する画期的な憲章でした。
さらに日本は、侵略したアジア諸国に膨大な犠牲と破壊をもたらした深い反省と新たな決意のもとに、いかなる戦争も否定する日本国憲法を制定したのです。
日本国憲法公布:国立公文書館より
4、日本国憲法
(1)憲法第9条
憲法第9条は、戦争と戦力の放棄について次の通り規定している。
(2)憲法第9条の二つの解釈
憲法第9条には大きく分けて二つの解釈がある。
(イ)多数説
第9条は「武力なき自衛権」を模索する道を残しているというのが多数説の解釈である。
同説では、一方では一切の武力によらない平和的自衛を模索するが、他方では「武力(戦力)とは言えない程度の実力による自衛」を模索するとしている。
ただ、自衛のために必要な最少限度の実力について明確な歯止めがない限り、実力による自衛権行使は同条の趣旨に反する結果をもたらす。
保守政権は日本国憲法の施行以来、この多数説をとってきた。
警察予備隊:毎日新聞より
(ロ)有力説
第9条は自衛権も含む交戦権を否認していると解釈するのが有力説である。
第1項は自衛戦争を含む戦争を絶対的に禁止した規定であり、第2項はその絶対禁止を確実にするための条件の明確化であるとする条文通りの自然な解釈である。
また、有力説は「われらは、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言する憲法前文にも沿った解釈だと言える。
憲法前文:衆議院より
(3)自衛隊設置に至る経過
(イ)警察予備隊
朝鮮戦争の勃発でアメリカは日本駐留部隊を出動させることになり、1950年8月に「事変、暴動等に備える治安警察隊」として警察予備隊が創設された。
当初は軽装備であったが、朝鮮戦争の戦況悪化に伴って重装備化された。
(ロ)保安隊・警備隊
1951年9月に平和条約とともに調印された日米安保条約では、日本の主権回復に合わせて、自国の防衛についても漸増的に自ら責任を追うことが規定されていた。
平和条約発効後の1952年8月に保安庁が設置され、警察予備隊を改編した保安隊(陸上)と海上警備隊を改編した警備隊(海上)が保安庁長官の下におかれ、「わが国の平和と秩序を維持し、人命及び財産を保護する」ことを任務とした。
(ハ)自衛隊
冷戦構造の顕在化とともにアメリカは相互安全保障法を成立させて、西側諸国との防衛体制の強化を図った。
日本もその対象となり、1954年3月には日米相互防衛援助協定が調印された。
政権与党の自民党内でも再軍備に対する慎重、推進の両派があったが、「直接侵略にも対抗できるように防衛力を強化する」方針が合意された。
防衛庁設置法と自衛隊法の防衛二法が歴史的な大荒れ国会で成立し、7月に防衛庁と自衛隊が設置された。
発足時の航空自衛隊:防衛省
5、日本の向かうべき方向
(1)多数説の破綻
多数説の下に、警察予備隊、保安隊・警備隊、自衛隊と軍事力は増強され、世界第5位の軍事大国となっている。
さらに、政府は安全保障環境の悪化を理由に、集団的自衛権を認め、防衛費を倍増し、「反撃能力」の保有を決定するなど、明らかに『実力」の歯止めは失われ、多数説は破綻している。
多数説、即ち「武力によらない平和的自衛」と「実力による自衛」は両立せず、「実力」の歯止めも設定不可能であったと判断せざるを得ない。
結果として、日本の現状は戦力と限定された自衛戦争を容認する国連憲章の規定と同等で、憲法違反となっている。
政府が第9条の改正を急ぐのはこのためである。
東京新聞より
(2)有力説が終着点
私たち誰もが、万一自国への武力侵攻が発生したときに自衛のための武力を持たないで自分たちの生活と生命を守ることができるのか、という不安をもっている。
しかし、自衛のための武力を持つという現実主義的対応には際限がなく、兵器の発達により永遠に武力を増強する必要が生じる。
さらに、自衛のための武力は武力侵攻が発生したときへの備えであり、武力侵攻そのものを防止することはできず、侵攻国の武力が強大であれば自衛できるという保証もない。
そして、最大の問題点は、自衛のための武力を強化すればするほどより高い壁を築くことになり、紛争の平和的解決への道を閉ざしてしまうことである。
戦争を絶対的に禁止して壁を取り払い、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」外交努力によって紛争の平和的解決を目指す。
人類の戦争禁止への歩みの、唯一残された終着点である。
国際司法裁判所:国連より
77年間の戦争の時代は終わっても、食料不足と混乱の時代は続きました。
しかし、私たちは新しい時代が来たことを確信し、希望を持って生きていました。
そんな時代に日本国憲法は公布され、私たちは心の底から次のように誓ったのです。
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」
今こそ、姑息な憲法解釈などに労を費やすことなく、真正面から全力をあげて理想と目的の達成に邁進するときです。
引用文献:「戦争賛否論における対話可能性」 河見 誠