歴史上で最も古い戦争の跡とされているのは、スーダンのヌビア砂漠にあるジャバル117遺跡で、発掘された約15,000年前の夥しい数の旧石器人骨は武器で殺傷されたものでした。

 

旧石器時代に戦争が始まったとすると、農耕と牧畜によってもたらされた富の偏在が戦争の原因と考える従来の理論を覆すことになり、戦争の歴史はもっと遡ることになります。

 

さらに、戦争がどの程度の頻度で起きているかというと、記録が残っている3,400年前から今日に至るまで、平和であった期間は僅か268年でした。


ジャバル117遺跡:大英博物館より

 

文明の発達とともに戦争の規模と破壊力は増大し、その大きな犠牲と破壊に耐えられなくなった人類が、紛争の平和的解決と戦争の禁止に向けて行動を起こしたのは約120年前です。

 

そして、その終着点として位置付けられているのが日本国憲法です。

第9条の改正が論じられている現在、日本の向かうべき方向を見い出すため、人類の戦争禁止への歩みと日本国憲法について次の通りまとめました。

 

1、ハーグ国際平和会議(前編)

2、パリ不戦条約(前編)

3、国際連合(前編)

4、日本国憲法(後編)

(1)憲法第9条

(2)憲法第9条の二つの解釈(多数説、有力説)

(3)自衛隊設置に至る過程

5、日本の向かうべき方向(後編)

(1)多数説の破綻

(2)有力説が終着点


普仏戦争(1870−1871年):thisismediaより

 

1、ハーグ国際平和会議

国際紛争を平和的に解決し、戦争を防止し、かつ戦争の規則を法典化する目的で、1899年に日本も含む26カ国が参加して最初の国際平和会議がオランダのハーグで開かれ、次の合意がなされた。

 

(1)「国際紛争の平和的処理に関する条約」の採択

(2)後に戦時国際法の一つとなる「ハーグ陸戦条約」の採択

(3)国際仲裁裁判を行う常設仲裁裁判所の設置

 

戦争の禁止には至らなかったが、この平和会議の開催が示すように不正な戦争は行われるべきではないという倫理観が国際的に一般的となっていた。


ハーグ国際平和会議:media.iwm.org.ukより

 

2、パリ不戦条約

いずれの参戦国にも大きな犠牲と破壊をもたらした第一次世界大戦後には、国際協調と平和の試みがなされ、民族自決の原則が掲げられるようになる。

 

そして、1920年に国際協力を促進し、平和安寧を完成することを目的として国際連盟が設立され、1928年にはパリ不戦条約が締結された。

 

パリ不戦条約は63か国により調印され、次の通り戦争を禁止する初めての国際条約となった。

 

(1)国際紛争解決のため戦争に訴えることを禁止し、相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄すると宣言した(第1条)。

 

(2)一切の紛争または紛議はその性質または起因を問わず平和的手段による外、この処理または解決を求めないことを約した(第2条)。

 

(3)ただし、締結にあたり各国は自衛と制裁のための戦争は禁止されないことを留保した。



 

3、国際連合

第二次世界大戦の防止に失敗して国際連盟はその活動を停止したが、国際協力と対話を通じて紛争を平和的に解決する必要は高まり、1945年に国際連合が設立される。

 

戦争の惨害を終わらせるとの強い決意のもとに、次の通り国際連合憲章が制定された。

 

それは、パリ不戦条約の「侵略戦争以外は容認せざるを得ない」というスタンスから、「限定された自衛戦争以外は否定する」というスタンスへ逆転する画期的な憲章であった。

 

(1)国際関係において武力による威嚇または武力の行使をいかなる場合も禁止する(第2条4項)。

 

(2)安全保障理事会は制裁措置だけでは不十分であると判断したときは、国際の平和および安全の維持または回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動を取ることができる(第42条)。

 

(2)安全保障理事会が措置を取るまでの間、個別的または集団的自衛の固有の権利を害されない(第51条)。


国際連合より

 

ーー後編へ続く

 

引用文献:「戦争賛否論における対話可能性」 河見 誠