日本にはあるけどフィリピンにないものは、数え上げればきりがありません。
先進国と新興国、特に生活環境について比較をするのは無謀というものでしょう。
しかし、文化や価値観に着目すると、先進国と新興国という違いはありません。
その分野で、「日本にはないけどフィリピンにあるもの」について報告したいと思います。
多くの外国人退職者がフィリピンへ移住しているのは、生活費が安いからだけではありません。
フィリピンの文化や価値観に彼らの人生を豊かにしてくれるものがあるのです。
その第一弾は「寛容」です。
寛容は次のように定義されています。
1、日本国語大辞典
心がひろくて、他人の言動をよく受け入れること。他人の罪過をきびしくとがめだてしないこと。
2、ブリタニカ国際大百科事典
元来は、異端や異教を許すという宗教上の態度についていわれたのであるが、やがて少数意見や反対意見の表明を許すか、否かという言論の自由の問題に転化し、ついには民主主義の基本理念の一つとなった。
フィリピンには多くの日本人が住んでおり、中には運悪く生活に困窮する人たちもいます。
彼らが困り果てて日本大使館へ駆け込むと、大概の場合、自己責任だという理由で帰国費用の借用は断られると言います。
そのような日本人に、手を差し伸べて住む場所や食べ物を分かち合っているのは、同じ地域に住むフィリピンの貧しい人たちです。
彼らには困っている人を助けるのに理由などいらないのです。
マニラの貧困地区:Photo by Maksim Romashkin
フィリピンの家族法はカトリック教会の教義に基づいて制定されており、離婚は認められていません。
また、不貞行為は配偶者に精神的苦痛を与えたという理由で、刑法により罰せられることになります。
しかし、このような出来事がスキャンダラスにテレビや週刊誌で取り上げられることはありません。
これは家族のプライベートな問題で、社会的な問題ではないからです。
マハトマ・ガンジーは次のように述べています。
「不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる。」
マニラ大聖堂:Photo from Manila Cathedral
フィリピン社会にはLGBTのBakla、Tomboyと呼ばれる人たちが違和感なく融合しています。
フィリピンでは国民の93%がキリスト教徒で、同性愛は宗教上の罪であるとされているにも拘らず、LGBTは広く人々に受け入れられているのです。
最近の調査ではLGBTの割合は11%、フィリピン人のLGBTの容認度は79%と報告されています。
フィリピンでは子供に対しても寛容です。
次の写真は、パートナーのLaiが職場の病院へ、16歳の娘DianneがSenior Highschoolへ向かう朝の出で立ちです。
Dianneは爪を伸ばしてマニキュアをし、化粧して、お気に入りの洋服を着ています。
彼女は特定の学校行事があるとき以外は制服は着ません。
長い髪を明るい色に染めていることもあります。
家族も学校もそれは彼女の個性として受け入れています。
もちろん、これは彼女に限ったことではなく、他の学生も同様です。
Dianneは大学では起業学を専攻し、卒業プロジェクトとして植物由来の化粧品のオンライン販売会社を立ち上げたところです。
彼女は肌が弱く、化粧品かぶれを起こすことがあるので、研究者と化粧品製造会社の協力を得て、若いフィリピン女性向けの肌に優しい化粧品ブランドを作ったのです。
「教育の目的は自分自身を大切にし、自分で考えて行動が出来る自由な人間を育てること」と言った人がいます。
寛容はフィリピンの教育の基本理念です。
フィリピン大学:Photo from UP