膠着した日中戦争の打開策として、日本軍が1940年9月に仏領インドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)北部に進駐し、最も重要なイギリス、フランス、アメリカによる支援ルートを遮断すると、アメリカは直ちに進駐を承認しないとの声明を発表しました。

 

また、進駐の直後に日本が日独伊三国同盟を締結したため、アメリカは屑鉄などの資源の対日輸出を禁止してこれに対抗し、両国は対決姿勢を強めていきます。

 

アメリカとの対決姿勢が強まる中で、資源の豊富な英領マレー(マレーシア、シンガポール)、蘭領東インド(インドネシア)への関心が高まり、日本軍が1941年7月に仏領インドシナ南部に進駐すると、アメリカは在米日本資産の凍結、対日石油輸出の禁止に踏み切り、イギリスとオランダもこれに従いました。

 

日本人の日本史より

 

4、太平洋戦争

日本は石油の8割を輸入していたアメリカと交渉を続けたが、1941年11月にアメリカは中国からの全面撤兵、仏領インドシナからの撤兵、日独伊三国同盟の破棄などを求めるハル・ノートを突きつけ、交渉の妥結は絶望的となった。

 

アメリカ・イギリスの二大大国に勝てるという見通しは無く、日本軍が優勢を保っている間にドイツがイギリスに勝利すれば、有利な条件で講和できるであろうという期待のもとに、日本は開戦に踏切らざるを得なくなったのである。

 

最後の日米交渉:毎日新聞より

 

1941年12月8日、日本軍がハワイの真珠湾とマレー半島を奇襲して太平洋戦争は始まった。

 

日本は侵略戦争を禁止する1928年パリ不戦条約を批准していたので、太平洋戦争は明らかな条約違反となるため、天皇の宣戦詔書では一貫して自存自衛の戦争であると理論展開されている。

 

真珠湾のアメリカ海軍施設:アメリカ国立公文書館より

 

西太平洋では航空基地と海上交通を確保し、東南アジアでは米英の重要軍事拠点を一掃して、英領マレーおよび蘭領東インドなどの重要資源を攻略確保するための南方作戦が展開される。

 

日本軍は開戦直後からグアム、マーシャル、ギルバートなどの西太平洋諸島に進駐し、1942年春にはフィリピン、蘭領東インド、ビルマを占領して、南方作戦の目的をほぼ達成した。

 

しんぶん赤旗より

 

しかし、1942年6月にミッドウェー海戦で日本海軍が敗北し、1943年2月には激戦の末ガダルカナル島から日本軍が撤退して、日本は坂道を転げ落ちるように敗戦に向かうことになる。

 

日本の陸軍戦争経済研究班も開戦直前の1941年7月に、アメリカと日本の経済力の差は20対1という報告書を提出しているように、圧倒的な国力の差による当然の結果であった。

 

1944年6月にマリアナ海戦に敗北して、7月に主戦派の東條内閣が倒れると、欧州を舞台としたアメリカとの秘密和平交渉、1945年6月にはソ連を通じた公式な和平交渉が試みられるが、いずれも具体化することはなかった。

 

ミッドウェー海戦:National WWII Archivesより

 

制空権も制海権も失った日本軍は前線への補給路を断たれ、戦闘の継続は困難を極めた。

 

捕虜になることを許されない状況で戦闘を継続した兵士は、約140万人が病死・餓死し、さらに、餓死する前に自決・万歳突撃をした兵士を加えると約160万人に達すると推定されている。

 

サイパンのバンザイ突撃で死亡した日本軍兵士:r/wwiipicsより

 

大東亜共栄圏の建設が日本の占領目的とされたが、具体的な占領政策は資源の獲得と軍隊の自活で、植民地体制に他ならなかった。

 

日本軍は至る所で必要な物資の強制供出、強制労働を課したため、経済は混乱して国民は困窮し、飢餓や重労働で次の通り多数の民間人が死亡している。

 

さらに、過酷な軍政は国民の武装抵抗運動を活発化させ、日本軍はゲリラ戦を余儀なくされたため、虐待と虐殺が常態となった。

 

 

反日ポスターに見入る日本軍兵士(マニラ):Wikimediaより

 

1944年6月にアメリカ軍がマリアナ諸島を占領すると、日本の主要都市への無差別空襲が開始される。

 

1945年6月の沖縄戦敗北、8月6日・9日の広島・長崎への原爆投下、8月9日のソ連軍の満州への侵攻を経て、日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した。

 

明治政府が脱亜入欧、富国強兵を掲げて以来、欧米帝国主義諸国の後を追った77年の歴史は幕を閉じたのである。

 

戦艦ミズーリでの降伏文書調印:国立公文書館より

 

侵略戦争、制裁戦争、自衛戦争、すべての戦争は残酷で、悲惨で、非人道的です。

その中でも、特に侵略戦争は独善的で、残虐な、国家の犯罪です。

 

14年間にわたる戦争による膨大な犠牲と破壊から導かれたこの事実が、私たちが日本国憲法を持つ理由だと、私は思っています。