終戦の日の8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が行われました。

 

岸田首相の式辞は昨年と殆ど同じ内容で、「不戦の誓い」も私の心には響きませんでした。

 

なぜ首相の式辞は白々しいのか?

それは、「不戦の誓い」の原点である太平洋戦争へと続く一連の戦争をどう考えるのか、首相としての歴史認識を示さず、アジア諸国への加害責任にも言及することはなかったからです。

 

全国戦没者追悼式:首相官邸より

 

先の侵略戦争における日本人の犠牲者は310万人ですが、アジア諸国の犠牲者は1,900万人に達しています。

アジア諸国の犠牲者の多くは、日本軍の虐殺行為や厳しい軍政下における飢餓や強制労働によるものです。

 

アジア諸国への加害責任を認め、謝罪し、哀悼の意を表明することのない戦没者追悼式は偽善です。

 

東京新聞資料

 

中国人強制労働者の遺骸が遺棄された万人坑:E-wave Tokyoより

 

1993年の細川首相以来、歴代首相は自民党政権時代を含め、「深い反省」や「哀悼の意」を表明してきましたが、第二次政権下の安倍首相はアジア諸国への加害責任の言及をやめてしまい、後任の菅、岸田首相もそれを踏襲しています。

 

加害責任の言及をやめている期間が、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更を閣議決定し、遂には防衛費を倍増して、「反撃能力の保有」を国家防衛戦略に明記するなど安全保障政策の大転換を行なった時期と一致しているのは偶然ではないでしょう。

 

細川談話:wikipedia,orgより

 

「日本はアジア諸国にいつまで謝罪すればいいんだ!」と声高に言う人たちがいます。

安倍、菅、岸田首相はその声に後押しされたに違いありません。

 

しかし、この謝罪に期限などありません。

もしやめることが許されるとしたら、それは日本の外交努力によって世界の平和が達成されたときでしょう。

 

超党派の議員連盟メンバーの靖国神社参拝:NHKより

 

首相は、「歴史の教訓を胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてきた」と自己評価し、「積極平和主義の下、国際社会と手を携え、世界が直面する課題の解決に取り組む」と決意を表明しました。

 

日本国憲法はおろか国際連合憲章の原則も逸脱する自衛の壁を築き、周辺諸国との対決姿勢を強める一方の安全保障政策と首相の自己評価や決意表明がどのように整合するというのでしょうか?

 

集団的自衛権と反撃能力:東京新聞資料