太平洋戦争末期の1945年8月6日、9日、アメリカは広島と長崎に原爆を投下し、296,000人(1985年時点)が死亡しました。

 

死亡者以外の被爆者は222,000人以上と推定されます。

 

 

広島に投下された原爆:平和記念資料館

 

1955年4月、広島と長崎の原爆被害者が、国を被告とする損害賠償請求の裁判を提起しました。

 

その請求の理由は、「米軍の原爆投下は国際法に違反する行為である。したがって、原爆被害者は米国に対し損害賠償請求権がある。サンフランシスコ講和条約によって損害賠償請求権を放棄した日本政府は、米国に変わって損害賠償すべきである」というものです。

 

1963年12月、東京地方裁判所は原告の請求を棄却しましたが、広島・長崎への原爆投下は国際法に違反すると判決しています。

 

1996年7月には、国際司法裁判所も国連総会の核兵器の威嚇または使用についての諮問に対して同様の結論を示しました。

 

国際法(戦時国際法・国際人道法)は、原則として次のことを禁止しています。

(1)非戦闘員や非軍事施設への攻撃

(2)不必要な苦痛を与える兵器の使用

 

東京原爆裁判:日本被団協

 

1938年1月、ドイツの科学者によりウランの核分裂反応が発見され、1939年9月からドイツ国防軍兵器局のもとで原爆開発が始まりました。

 

危機感を抱いたアメリカでも政府主導で原爆研究が進められ、1942年9月には国家軍事プロジェクト「マンハッタン計画」へと発展します。

 

巨大ウラン濃縮工場、プルトニウム生産用原子炉と化学分離工場、原爆の設計・開発と製造を行う研究所が建設され、科学者、技術者など述べ30万人を動員して計画は推進されました。

 

1945年7月16日、初めてのプルトニウム原爆が完成し、砂漠の地アラモゴードで人類初の核実験が行われたのです。

 

トリニティー原爆実験:Jack W, Aeby

 

トルーマン大統領は、陸軍長官を議長とする諮問委員会に「日本に対して原爆を使用すべきかどうか判断するよう」指示します。

 

諮問員会は使用を支持する見解でほぼ一致し、大統領は7月25日に原爆投下の指令を承認しました。

 

米軍首脳部の大半は、日本本土上陸作戦を開始する前の段階で日本を降伏に追い込むことができると展望しており、原爆の使用は必要ないという見解でした。

 

トルーマン大統領:National Archives

 

1945年7月、連合国首脳は日本への対応と戦後処理を協議するため、ポツダム会議を開催します。

 

アメリカが作成したポツダム宣言原案にあった「現皇統下の立憲君主制の存続もありうる」という一節は、対日強硬派の国務長官の巻き返しにより直前に削除されました。

 

国務省内の知日派は、天皇制保障条項を維持して日本の降伏勧告受諾を促すことを最後まで大統領に進言しますが、受け入れられませんでした。

 

そして、7月26日に米英中三国首脳の連名で全13箇条で構成される「日本の降伏条件を定義する宣言(ポツダム宣言)」が日本に対して発せられます。

 

ポツダム会議:Bundesarchiv_Bild

 

降伏勧告を受けた日本政府は明確な結論を出すことができず、降伏条件に未だ交渉の余地があるとして黙殺を決め込みます。

 

そのことがアメリカの広島・長崎への原爆投下、さらにはソ連の侵攻と満洲国瓦解を招き、天皇の最終決断によって日本政府は8月14日に同降伏勧告を受諾したのです。

 

「戦争の終結を早め、日本本上陸作戦を回避して米日兵士の損害の拡大を防ぐ」というアメリカの原爆投下を正当化する理論が証明されたことになります。

 

終戦の詔書:国立公文書館

 

天皇制保障条項の削除に、なぜトルーマン大統領は同意したのか?

 

大統領はタイプの異なる2個の原子爆弾(ウラン、プルトニウム)を、できるだけ早い機会に実験的に投下する必要に迫られていたのです。

 

核兵器を軸にした圧倒的な軍事力を構築して、戦後世界における米国の覇権を確立し、来るべきソ連の脅威にも備えることは米国の至上命題でした。

 

原子力空母エンタープライズ:USA Military Channel

 

判断力を失った日本政府とアメリカの覇権争いの犠牲となった広島・長崎の人たちが、光明を見出す日は来るのでしょうか?

 

核兵器の廃絶に向けて、世界の国々が歩調を揃えることはできるのでしょうか?

 

2023年5月19−21日、日本を議長国とするG7広島サミットが開催され、「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」がまとめられました。

 

G7広島サミット:首相官邸

 

サミットの初日に各国首脳は平和記念資料館を訪問し、次のように記帳しました。

 

1、岸田総理大臣

「歴史に残るG7サミットの機会に、議長として各国首脳と共に「核兵器のない世界」を目指すために、ここに集う」

 

 

2、マクロン仏大統領

「情感と共感をもって広島の犠牲者を追悼する責務に寄与し、平和のために行動することだけが、私たちに課せられた使命です。」

 

 

3、バイデン米大統領

「この資料館が語る物語が、平和な未来を築くという私たちの義務を思い出させてくれますように!世界から核兵器を最終的に、そして、永久になくせる日に向けて、共に弛まず進んでいこう。信念を貫こう!」

 

 

4、トルドー加首相

「失われた多くの命、被爆者の言葉では表せない苦しみ、広島と長崎の人々の計り知れない苦悩に、カナダは厳粛なる弔意と敬意を表します。貴方がたの体験は私たちの心に永遠に刻まれるでしょう。」

 

 

5、ショルツ独首相

「この場所は、想像を絶する苦しみを思い起こさせる。私たちは今日ここでパートナーと共に、固い決意をもって平和と自由を守るという誓いを新たにする。核の戦争は決して繰り返されてはならない。」

 

 

6、メローニ伊首相

「今日、私たちは立ち止まり、祈りを捧げよう。今日、闇が勝利することはなかったと記憶しよう。今日、過去を思い出し、希望の未来を築こう。」

 

 

7、スナク英首相

「シェイクスピアは「悲しみを言葉に出せ」と説いている。しかし、原爆の閃光の中では、言葉は通じない。広島と長崎の人々の恐怖と苦しみは、いかなる言葉でも表すことはできない。しかし、私たちが心と魂を込めて言えることは、繰り返さないということだ。」

 

 

 

参考資料:

(1)「原爆投下と敗戦の真実」 藤岡 惇 立命館経済 第65巻 2016年9月

(2)「G7首脳による平和記念資料館訪問(記帳内容)」 外務省 2023年5月20日