妻の13回忌法要のため、帰国しました。
前回の帰国は7回忌のときだったので、6年ぶりになります。
看護師のパートナーLaiはコロナウイルス・パンデミックで3年間、休暇もなく働きづめだったので、私の付き添いがてら日本の休日を楽しむ計画です。
出発日は彼女の55歳の誕生日でした。
亡くなって12年も経つと、妻のことを思い出すのは稀ですが、今でも鮮明に心に残っているのは初めて学校の廊下ですれ違ったときの彼女の笑顔です。
二人とも高校1年生でした。
26歳で結婚して直ぐに長男と次男が生まれ、乗船勤務中の船が日本へ帰るたびに二人を連れて面会にきてくれたことが思い出されます。
53年間を一緒に過ごし、16歳の出会いが二人の絆になっていました。
写真は尾道北高ホームページより
お互いに故郷尾道の海へ散骨することにしていたので、彼女の墓はありません。
しかし、彼女が亡くなる直前に遺骨の一部を増上寺の大納骨堂に安置したいと言うと快く納得しました。
東京に住んでいる二人の息子は、通りがかりに時間があればお参りしています。
尾道水道:Photo by Kotaro-Marks
増上寺
本堂での読経と焼香が終わると、用意していただいた卒塔婆を持って大納骨堂へ向かいます。
戒名は本来、高僧にだけ許されていたというので、妻の戒名は辞退しました。
卒塔婆には俗名が書かれています。
7回忌後の私の生活を報告し、彼女に出会えたことを感謝しました。
法要に参列したのは6家族(人)だけです。
息子二人の家族、米国に住んでいる娘、私の妹夫婦、妻の妹です。
兄はもういません。
折角みんな揃ったからと、息子たちが小田原への一泊旅行を計画しました。
みんなで食事をしていると、食いしん坊で料理が得意だった妻の話で盛り上がります。
二人揃って60歳で退職し、その後に住んだパナマとマニラへ行くときも、妻は出刃包丁と刺身包丁をスーツケースに忍ばせていました。勿論、魚を買ったのは現地の魚市場です。
一泊旅行から帰ると、残りはもう3日間だけです。
銀座、浅草、東京スカイツリー、下北沢、渋谷へ行き、どこも外国人観光客で賑わっていました。
Laiは浅草が気に入り、来年の休暇には関西の古都へ行くことを決めたようです。
出発の前夜、次男が東京駅が見下ろせるレストランを予約していました。
久しぶりの帰国を締めくくる味わい深いディナーでした。
Laiと子供たちが会うのは今回が初めてです。
私が新しいパートナーの家族と暮らしていることを彼らはどう感じているのかなと思っていたのですが、お互いに打ち解けて、訪問し合う約束をしていました。
好き放題に生きている父親だと諦めているのでしょうが、今回の旅行で最も嬉しかったことです。