日本で国旗が法制化されたのは、「国旗及び国歌に関する法律」が制定された1999年です。

 

それまでは、1870年(明治3年)制定の商船規則により商船旗として定められた日章旗が慣習的に国旗として扱われていました。

 

 

商船は国籍を表示するため船尾に商船旗を掲げ、外国の領海内にあるときはその国への敬意を表してメイン・マストに同国の国旗を掲揚します。

 

私が船員になった1960年代以降に、多くのアフリカの国が独立したので、新独立国の国旗を入手するのに苦労した記憶があります。

 

オーストラリアの国旗と国際旗流信号UW1(「ご安航を祈る」の信号に対する答礼)

 写真は海の科学館から

 

艦船間で敬意を表すために行われるのが降旗礼です。

航過する際に船尾に掲揚した軍艦旗・商船旗を半旗にすると、相手の艦船は同じく船尾の軍艦旗・商船旗を一旦半旗にしたのち戻して答礼します。

 

商船が洋上や港内でコーストガード、海軍の艦船と航過する際には、海上の安全と治安の維持を任務とする彼らに敬意を表して降旗礼をするのが国際儀礼です。

 

降旗礼:写真は海上自衛隊から

 

艦船旗、国旗を持ち運ぶときには丁寧に折りたたみ、掲揚・降下する際には旗が甲板に触れないよう注意します。

 

国家を象徴する艦船旗や国旗への敬意を込めた取り扱いです。

 

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こうして商船旗を掲げ、国際儀礼を交わしながら商船の安全は守られていますが、日本の船員には悲惨な歴史があります。

 

日本の軍部は戦争における輸送・補給の重要性を十分に認識しておらず、太平洋戦争開戦時には輸送艦、海防艦を殆ど所有していませんでした。

 

そのため、戦線を東南アジア、南太平洋と展開するに従って兵員・軍需物資の輸送・補給ができなくなり、民間の商船を徴用したのです。

 

 

開戦前、世界第3位の船腹量を誇った日本の商船隊は、総船腹の88%に当たる2,568隻が潜水艦の魚雷攻撃と空爆などにより撃沈されました。

 

戦闘装備も海防艦の護衛もない徴用商船と運命を共にした船員は約6万人で、その死亡率は43%になり、海軍の16%、陸軍の23%、特攻隊の30%を上回っています。

 

Photo from The National WW II Museum

 

戦没船員慰霊碑:写真は海事新聞から

 

太平洋戦争は、国際条約を無視し、人道を無視した侵略戦争でした。

 

国家の情報操作によって「自存自衛」の戦争だと信じていた国民は、日の丸を打ち振って家族、同胞を戦場へ送りました。

 

出征兵士壮行会:写真は新庄町から

 

学徒出陣:Photo from asahi-net.or.jp

 

太平洋戦争で戦死した軍人・軍属は230万人、民間人は80万人に上ります。

 

戦死した軍人・軍属の半数以上は、補給もなく、捕虜になることも許されない状況で戦闘を継続した末に病死・餓死したものです。

さらに餓死よりも万歳突撃を選んだ将兵を加えると、百数十万人に達すると推定されています。

 

サイパンの万歳突撃で死亡した日本軍将兵(約3,000名):Photo from r/wwiipics

 

日本人が国家の象徴である国旗に敬意を抱くことができないのは、過去の日本だけではなく、かつての道を歩みつつある現在の日本も誇りに思えないからです。

 

日本を誇りに思えば、自ずと愛国心は生まれ、国家の象徴である国旗にも敬意を抱くはずです。

 

写真は自衛隊から

 

観艦式:写真は自衛隊から

 

日本人が誇れる国家を目指す。

個人の尊厳を確保するために、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を追求すると日本国憲法は宣言しています。

 

全ての日本人が今一度歴史をひもとき、進むべき道を再確認するときが来ています。