今日は世界も注目する日本最大の同人誌即売会・コミックマーケット開催47周年の日です。
その始まりは1975年12月21日、まんが批評集団「迷宮’75」の実質的な企画・主催の元、
旧日本消防会館ビル内の会議室を借り、参加者約700人での開催からでした。
その後は初代代表の辞任と共にコミケは迷宮の手を離れ、1980年からは米澤代表体制が確立。
それと共に理念が明文化されました。
2006年に米澤代表が亡くなってからは、後継の共同代表による理念の改訂に着手。
2012年に場の存続と表現の自由のいずれを取るかの決断に迫られるも、
場の存続に一層の比重を置いた理念を発表し、今に至っています。
会場も各産業会館や川崎・横浜のホール、晴海の東京国際見本市会場へと変わり、
東京流通センターを経て再び晴海となりましたが、1989年からは急激な膨張に対応できなくなった事から、
意外に思いますが幕張メッセで開催される事となりました。
しかし・・・1991年夏のC40開催前に会場側から使用拒否の通達があり、
三度晴海に舞い戻ってきたのです。
この事からメッセに対しアウェー感を持つ方々が増えたとか・・・
そして1996年夏のC50からは、完成したばかりのビッグサイト開催となり、こちらも今に至っています。
時代は令和へと移ってからは新たな波乱が起きました。
令和初となるC96からは東京オリンピック・パラリンピック開催準備のため、
メインとなる東地区が使用不能になる事態が発生。
そのため西・南・青海を使った史上初の4日間開催へと舵を切ったのです。
(それでも規模縮小という痛手は被っているのですが・・・)
しかし、GWへの前倒し開催を予定していたC98は、
コロナ禍による自粛要請を受ける形で史上初の開催中止となったのです。
「延期」ではなく「中止」となったのは、既にカタログの印刷製本が終わって販売も始まっていたためです。
その後緊急事態宣言によるビッグサイト使用不能という事態に見舞われるも、
準備会をはじめとする多くの有氏がC98という証を残すためのエアイベント「エアコミケ」が実施され、
現地に行けなくても祭を楽しむ気持ちに溢れる様相となりました。
その後も規模や情勢との兼ね合いを鑑みながら、2021年12月30・31日のC99開催決定を決めました。
C99以降からは2日間開催、収容人数制限に伴う一般参加入場チケット抽選販売が実装されましたが、
この事で長年の問題であった徹夜組・始発ダッシュ組がいなくなり、一定の成果を挙げられました。
当然ながらフリー入場がなくなったため、防災公園使用取りやめと併せてこの恩恵に乗じたカメラマンもいなくなり、
如何に徹底した感染対策が講じられているかを感じつつも、快適に周れる場にもなったのは紛れもない事実です。
空白の2年からの復活を果たしたC98から1年・・・3度目のアーリーチケット当選により、
来週はまた約束の地に向かう事ができます。
当たった方、運良くチケットをゲットできた方、
共に守るべき事を守り、新たな時代へと歩み出したコミックマーケットを楽しみましょう!
・よくある質問(?)
Q:ウマ娘のR-18はありますか?
以上です。