こんばんは。心理カウンセラーの藤田です。
熊本で震度7の地震が発生しましたね。私は、主催のイベント「カウンセラーの集い」を終え、参加者の方々との懇親会の最中に知りました。幸い津波はないようですが、今、私は夜中の1時に書いていますが、熊本では震度6強の余震が続いているそうです。深夜で被害の全容が分からないと報道していましたし、心配です。

こうしたニュースで思い出すのは、5年前のことです。私は東京におりましたので、東北のそれとは比較になりませんが、それでも、震災の影響は受けました。交通網はストップし、ネットでは東北や首都圏の様子が流れ、大変なことが起きていると実感していった3月11日。モノがなくなったコンビニ、手に入らない水、米、日用品。停電に真っ暗な夜の駅・・・、それまでの日常が崩れたことは今も覚えています。また、そんな状況でも周りに人がいてくれたことで安心したことも。誰かと繋がっていることがどれだけ有り難いことか、あの時強く感じました。

だからこそ、想像します。熊本の方々は今どんな気持ちか。不安だろうな。怖いだろうな。ご家族友人の安否は取れたかな。電話が早くつながるといいな。夜は寒いだろうな。食事は大丈夫かな。貧困な想像力かもしれませんが、それでも過去の体験があるからこそ想像し、心配もできます。何か力に、恩返しできないかとも思える。辛い過去はこうして力に変わるんだとも思います。

しかし、忘れてはいけないのは、同じではないってことだと思います。結局、自分と他人は違う。置かれた環境も感じ方も。大切なのは決めつけず、自分は当時そうだったけど、今の熊本の方々はどう思っているかな、何が必要なのかな、と目を向ける。過去の体験を、誰か重ね合わせ同一化してしまえば、相手のリアルが見えなくなる。ただの優しさの押し売りになってしまう。

このバランスをとるのはとても難しいことですが、それでも、思いは意志に変え、相手の現実や気持ちとしっかり向き合う。そんな自分を常に持っていようと思います。

最後に、熊本の方々がどうか無事でありますように。

DF心理相談所 藤田大介
こんばんは。心理カウンセラーの藤田です。
このところ、保育関連のニュースが多いですね。昨日は付近の住民が「うるさいから」という理由で保育園開園を反対したというニュースがありましたし、野党が保育士の給与5万円アップの法案を提出したり、「保育園落ちた」もありました。待機児童問題も良く耳にします。各自治体も対策を講じていますが、なかなか成果が上がっていないのが現状なようです。
厚労省の調査資料を見たのですが、保育士資格を持っている求職者の約半数が保育職につくことを希望していないそうです。理由としては、責任の重大さや休暇の取りづらさといった質量両面での激務に関する事と、給与への不満が大きいようです。
特に給与水準はかなり低く、平成24年で現金給与額で年収214万円。この水準を上げる事が離職率低下や人材確保に効果的だろうと、国も力を入れているようです。

しかし、本当に効果的かというと、私は疑問に思います。
私は仕事上、様々な職業の方のご相談を受けています。職業が様々なら、経済状況も様々。かなりの給与を保証されている方もいれば、ギリギリの方もいます。しかし、「給料」は悩みそのものではなく、これだけストレス感じて苦しんでいるのに見合っていない、という二次的なもの。本質的な問題は、人間関係や激務、責任の重さといった面にあるケースが殆どで、それらのストレスへの対価として給料が見合っていない、というのが、賃金に対する不満の構図と言えます。
ですので、賃金を上げても、あくまで効果は一時的。激務や休暇を取りづらい勤務体制、多大なプレッシャーについて改善したり、一つ一つしっかりと仕事を教え、教われる指導体制を整えたり、小まめな心のケアを実施したりすることの方が、長い目で見れば有効でしょう。また、預ける親にとっても、何より預けられる子供にとっても、保育士さんが心身ともに余裕を持ってくれている方が安心なはずです。
保育関連問題への対策というと、どうしても施設の増設や賃金向上、人員確保に目が向きがちです。しかし、人は幸せになるために働くもの。「金」「モノ」よりも働く人間の心の安定に目を向けた対策も、さらに強化してほしい。私はそう思います。

今日も読んでくださりありがとうございます。
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DF心理相談所 代表心理カウンセラー藤田大介
こんばんは。心理カウンセラーの藤田です。
今日はお昼に時間が空いたので、高田馬場に鎮座し1200年と言われる、新宿諏訪神社へ行ってきました。昨年度の感謝と、新年度のご挨拶をしてきました。

神社というと、神様に願い事をされる方と、日頃の感謝をしに行く方と別れるようですが、皆さんはどちらですか?私は後者です。本来、神様に願い事をするのではなく感謝を伝えるのが正しい知ったからというのもありますが、私は詰めが甘いので、願い事をすると「神様がなんとかしてくれる」と他力本願になり努力を怠りそうな自分を知っているから、というのが大きな理由です。「天は自ら助くる者を助く」と言いますし、日々の感謝とお礼を伝え、あとは見ててくれるんだから安心して頑張ろう。という自分でいたいが為に、感謝だけにしています。

折角神様にご挨拶するんだからと、鳥居でお辞儀をしたり、手水は忘れずし、参道は真ん中を通らず、と一通りきちんとやっています。
しかし今日、私のすぐ前にお参りにきていたスーツをキチッと着こなした50代ぐらいの紳士に目を奪われました。
作法とされている二礼二拍手一礼は私もしますが、この紳士はとても真剣。ゆっくりと、姿勢を正し、礼や拍手の一つ一つに心を込めていました。まるで見えないはずの神様と対話するかのように。

見ていてハッとした自分がいました。私はこれまで、これほど真剣に心を込めて向き合うようにしたことはなく、ただ形式で行っていたことを痛感。今日早速取り入れましたが、この紳士にはとても大切なことを教わったように思います。それは、見えないものに心を込めるということです。

これは神仏に限らず、日常にも当てはまります。仕事で言えば、お客様や上司・同僚。サービスの受取手や、評価者が見えていれば努力はしやすいですが、しかし、直接見えなくても、見ててくれると信じて日々心を込めてを精進する。そうした姿勢こそが、自分の価値を高める原動力になります。形だけではなく、感謝に心を込める。背筋が伸びる、貴重な経験でした。
これを忘れず維持していきたいものですね。

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今日もありがとうございます。また明日も更新しますので是非よろしくお願いします。
DF心理相談所 藤田大介