バンクーバーオリンピックが開幕しました。
無事に全競技が終了して欲しいと思っていたのですが、開幕前に痛ましい死亡事故が起こってしまいました。
リュージュの選手がコースから飛び出し、鉄柱に全身をぶつける事故により亡くなってしまいました。
試合に向けて他のことを差し置いて練習を積んできたのでしょうから、本人だけでなく、周囲の方にとっても無念でしょう。
リュージュと言っても、雪国育ちでない私には縁遠い種目ですし、テレビ(といっても五輪程度)でしか見たことがありません。
上を向いて滑るソリのようですが、技術面も向上しているため、時速は160kmにもなるそうです。
スピードを落とさずにカーブを曲がることができないと、到底メダルには届かないので、選手は命がけです。
今回の会場でも、何人かの選手が練習でケガをしていたそうで、危険なコースであることは認識されていたようです。
しかし、オリンピックという最高の場なので、難易度を下げることは考えなかったのでしょう。
コースから外れてしまうことはあったとしても、このような重大な事故を防ぐ手立てはなかったのでしょうか。
素人が言うことなので的外れかもしれませんが、何故、コース脇に鉄柱があったのでしょうか。危険な場所が予めわかっているのであれば、鉄柱などの危険なものを外しておくことはできなかったのでしょうか。
もうひとつは、国母選手の服装のことです。
あのような格好の若者は多いですね。シャツを出す着こなしはかなり定着しているようですし、パンツをずらしてはくのも、一部の若者に見られます。
おじさんから見れば格好の良いものではありませんが、当の本人達はそれが格好良いと思っているわけです。
ファッションというのは、その時その時で、「何が格好良いか」という価値観は変わってきます。
数年経過して、自分のしていたファッションがすごく恥ずかしく思えることは多いものです。
特に、スケートボードの選手にとっては、あのようなファッションはむしろ当たり前のことなのでしょう。
「日本を代表している自覚がない」「国民の税金が使われている」などという批判は当然なのかも知れませんが、あえて、異なる意見を言うとすれば・・・・・。
彼にとって、あのファッションは普通の着こなしなのですから、あれが悪い事だという自覚がないのです。
だから、謝罪会見もあのようになって当然なのです。
国母選手は、スケートボードをしていなかったら、もっと悪いことに首を突っ込んでいたかも知れません。
そのような彼が、スケートボードで五輪に出場できるまでにスポーツに打ち込むことができたのだから、それを良しとしなけばならないと・・・・。あんなことで済んで良かった、とプラス面で考える余裕は今の日本人にはないのかもしれせん。
何が良くて何が悪いかということは、普通、大人になる前に習得しておくべきでしょう。
しかし、スケボーばかりに夢中になった彼にとって、国内外での競技会で見る年上の選手も大なり小なり、同じようなファッションだったのでしょう。なので、彼は、ごく普通の社会人がどのようなファッションをするべきなのか知るこができなかったのでしょう。
あのような格好を周囲の誰も咎めなかったということは、スケートボードの協会の人も、あのファッションは恥ずかしいことだという認識がなかったのでしょう。おそらく、こんな事態になるとは想像もしていなかったのでしょう。
私は、国母選手個人よりも、むしろ、周囲(協会)の人の危機管理がなっていないことの方が問題だと思っています。