皆さま ごきげんよう

 

 

去年10月に 亡くなられた アントニオ猪木さんの

 

「お別れ会」が 昨日、両国国技館で 行われ、

 

交流のあった方々 や 多くのファンが

 

別れを 惜しみました。

 

真っ赤なレッドカーペットに 金色に輝く

「闘魂」の 文字。猪木さんらしい 祭壇です赤薔薇キラキラ

 

発起人には 森喜朗元首相、野田佳彦元首相を

 

はじめ、高田延彦さん、武藤敬司さん、

 

北斗晶さん、アナウンサーの 古舘伊知郎さん、

 

野球評論家の 張本勲さん など、プロレス・

 

スポーツ界に 縁のある方々が 

 

多く 名を連ねていらっしゃいました。

 

 

猪木さんは 17歳で 力道山に ブラジルで

 

見出され、プロレス界に 進出。数々の名勝負で

 

ファンを 魅了し、引退したあとも

 

格闘技大会の プロデューサーを 務めるなど、

 

長年に渡って 格闘技界の 発展に

 

貢献してこられました。

 

トレードマークの 真っ赤な マフラー。

本当に 良く お似合いですハートルンルン

 


また、国会議員として、独自の人脈を 生かして 

 

活動するなど、幅広く ご活躍されました。

 

去年10月、心不全のため79歳でこの世を

 

去られました。生前、北朝鮮訪問等で

 

ご一緒したり、六本木の 小さなクラブ

 

「ZUKKO」で 共に 飲み明かしたりと 

 

親交が ございましたので、

 

とても 寂しく思います。

 

店名の「ZUKKO」は妻の”田鶴子さん”の お名前から。

 

田鶴子夫人は 写真家の ご出身で、猪木さんの

 

一番の ファンであり、理解者であり、

 

一心に 猪木さんを 支え続けてこられました。

 

彼女にとって「アントニオ猪木」は 命 でした!!

 

しかし、田鶴子夫人の方が 先に ガンで 

 

亡くなってしまわれました。愛する妻を 失った 

 

猪木さんの 悲嘆は いかばかりか。。もし、

 

夫人が ご存命でしたら、猪木さんは 

 

もっと 長生きされたかもしれません。

 

それほど 献身的に 猪木さんを 支え続けて

 

来られた方でした。彼女の 功績も

 

決して 忘れてはなりません。

 

7日は、国技館に およそ4800人の 参列者が

 

集まり、黙祷する中、追悼のゴングが

 

10回 打ち鳴らされました。

 

お嬢様の 猪木寛子さんは 参列された方々に 

 

感謝を述べ、「辛いことがあったら 上を見て、

 

パパのことを 思い出して、乗り越えて 

 

生きていってくれれば いいなと 思う」と

 

お話されました。アントニオ猪木さんを 送るに

 

ふさわしい、素晴らしいセレモニーでした。

 

猪木さん、どうぞ 安らかにお眠りください。

 

 

合掌