皆さま ごきげんよう

先日、 東京 芝にある 増上寺光摂殿にて、 
「第24回 モンブラン 国際文化賞授賞式」が 開催されました。
本年度受賞者は、 国際的バレエダンサー 熊川哲也氏。

 

「モンブラン国際文化賞」とは、 1992年に設立された
モンブラン文化財団が 世界の傑出した アート・パトロン、 
芸術の支援者に対して 授与する賞です。 
毎年春に、 世界各国から 若い才能の開花に 尽力支援し、  
個人的な努力と 実績が顕著に値する アート・パトロン 各1名を
それぞれ 1名を、 各国の芸術の分野で 活躍されている著名な
方々で構成された審査員団より 選出されるのだそうです。

モンブラン ジャパン CEO マキシム ・アラール氏から
トロフィーの授与がありました

  

会場には 繊細で 美しい バレエの衣装の展示がありました。 
間近で見ると、 溜息が出るほど 美しいです。





私も 祝辞をのべさせて いただきました。

  

中世においては、 王様と宗教家が芸術のパトロンでした。
設計家(建築家)、 音楽家(作曲家)、 芸術家(画家・彫刻家)、
などに 衣食住をあたえ 自由に創作活動を 支えていました。
現在、 人々に愛され 称賛されている曲や絵画、 また 世界遺産に
残っている お城や大聖堂など 当時の王様や 宗教家のパトロナージュ、 
この資本主義社会の中で名を残すのは、 莫大な費用と
宣伝力が必要となります。
モンブラン文化財団が素晴らしい才能ある芸術家や功績を残した
方々にモンブラン賞を授与し、 文化の継続と発表のために貢献
するのは 本当に素晴らしいことだと思います。

熊川さんの親友、 東儀秀樹さんの お祝いのスピーチ。



10歳でバレエを始めた熊川さんは、15歳で単身 バレエ留学のため
ロンドンに渡り、 名門 英国ロイヤル・バレエ学校に入学し、 早々に
頭角を現して 2年後には ローザンヌ国際バレエ・コンクールで
日本人初のゴールド・メダルを受賞したのを皮切りに、世界の
バレエ界でもその名を馳せ、 東洋人として初めて英国ロイヤル・
バレエ格好に入学し、 史上最年少でソリストに昇格し、 後に
プリンシパル(主役を踊る最上位クラスのダンサー)に任命され、
世界的に活躍されました。 1998年に同バレエ団を退団されて
現在は、 ご自身の「K・バレエカンパニー」を主催しています。 

Kバレエユースによる見事な パフォーマンス







熊川さんが留学した頃の英国では、 まだ人種差別があった時代。
いわゆる白人社会の中で、 日本人は 人には言えない差別を
感じたことがあると思います。
1960年代、 米駐日大使のライシャワー夫妻が英国領の
シンガポールを訪れた際、 格式高いラッフルズホテルに宿泊
しようとしたところ、 ホテルから 白人の大使はOKですが、
日本人のハル夫人は 拒否されたそうです。大使は怒って
ご自身も 宿泊しなかったそうです。 それくらい 人種差別があり、
冷遇されていたのです。
きっと、 熊川さんは 人には言えないご苦労を ご自身のバレエの
技術に力を変えて、 バネにしたのかもしれません。
並外れた美しい跳躍力、 指先、 つま先に至るまで神経の
行き届いだ繊細なその素晴らしい踊りは、 見る人の心に
本当の感動を与えます。

熊川さんの その後のご活躍は 皆さまご存じのとおり、 15年に
渡って若い次世代への才能の指導・育成や発掘に情熱を傾けられ、 
熊川さんのご活躍でクラシックバレエを身近に感じて、 舞台を
ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
まさに現代の「パトロン」に相応しい方です

受賞した方には、 モンブラン特製の ボディもキャップも
ソリッド ゴールドの塊をくりぬいて製作される この贅沢 且つ
特別な万年筆が贈呈されるのです。



毎年受賞者の人数分と、 モンブラン・ミュージアムに 永久保存
される 1本のみ 生産され、 受賞者のイニシャルを 刻印して
贈呈されるので とても希少なものとなっているそうです。
世界で 唯一無二の存在の “アート・パトロン”の方 だからこそ
持つことが許される 世界に一つの 「パトロン シリーズ」。
熊川さんは、 世界が認めた すばらしい日本の宝物だと
思います。 

これからも、 日本のバレエ界を牽引し、 世界の「熊川哲也」として
ますます ご活躍ください。 
本当におめでとうございます