皆さま、 ごきげんよう。

川崎で起きた 未成年の集団リンチ殺人事件に 類似した事件が、 
また起きました。
今度は、 愛知県刈谷市です。

「血なまぐさい事は河原でと、 日本人のDNAには染みついている」
という 。(「週刊新潮」6/18号より)

今月6日、 午後10時40分ごろ、同市の逢妻川の堤防道路上で
15歳の吉田達哉君が、遊び仲間の3少年に さんざん殴る、 
蹴るの暴行された後に、 「川を渡り切ったら 許してやる」と
人が釣りもしない様な汚れよどんでいる川に 彼らに命令
されて入り、 川の途中で 「もう無理」という言葉を最後に、 
行方不明となっていました。
3日たった 9日午後4時過ぎ、 吉田君は 現場から
約400メートル下流で 遺体で発見されました。
3人の少年達はすでに 「暴行致死罪」の容疑で逮捕
されています。

この事件では、 集団暴行の際に傍観者として10人ほどいた
ということ。
この高校生は、 何故 彼の仲間3人にリンチを受けなければ
ならなかったのでしょう。
そのリンチの原因は 、 被害に遭った吉田君がつきあっていた
15歳の女の子がいたのに、 祭りの夜に 他の女の子に 声を
かけたと言う理由だということ。

「週刊新潮」(6/18号)の記事の中で、 評論家の唐沢俊一氏は、
「女の嫉妬というものは、 執念深いものになりがち。 これに加えて、
復讐を自身で完遂するのではなく、 男の手を借りることも 特徴の
1つ」と 指摘しています。 
まさに 今回の事件の「 核」となるものでは ないでしょうか。

15歳の女の子の “ジェラシー” が発端となった この事件。
それを 自分で彼に思いを伝える代わりに、 仲間に制裁という形で
仲間に暴行させる。 これは、 私の想像ではありますが、 
事実であれば なんて恐ろしい事でしょう。 高校生がすることですか。
自分の彼が暴行を受け、 死に瀕しているのに、 “ざまあみろ”
とでも思って 見ていたのでしょうか。
事件の発端になった 彼女にお咎めなしですか。
他の女の子に声をかけるのが、 死に値するほどの重罪ですか。 
許せない程、 殺したいほど 憎いことですか。
一緒にいた仲間は 償いきれない罪を、 一生背負うことになるでしょう。

私は、 最近何度となくこうした事件に際して 思いを綴っていますが、
やはり、 いっこうに 悲しい事件はなくなりません。
仲間と一緒でなければ、 何もできないのも 問題の様な気がします。

15歳の女の子の“ジェラシー”が、 事件の裏に見え隠れします。
仲間が彼女の代わりに吉田君に制裁を加え、 その暴行を
見ていた彼女、  自分の彼が暴行を受け、 死に瀕していた時、 
彼女はどんな思いで彼を見ていたのでしょう。 

彼女は ツイッター上で こう心情を綴っています。
「・・・目の前で大切な人が いなくなる辛さを知らないだろ
ふざけんなって。 止められなかったわけじゃない、 
止められなかったのに。」 (原文一部ママ 「週刊文春」6/18号より) 

こんな状態の時に、 人はツイッターなどで 他人に自分の感情を
知らせる必要があるのでしょうか。 私には、 理解できません。
自分の正当性を吐露して、 私は悪くないとの自己弁護に
聞こえる気さえします。 これは、 彼女の良心の呵責でしょう!
私が今回の事件と 川崎リンチ事件との共通性を考えた時、 
こんな一文を見つけました。

「二つの事件には、 小さな共同体のなかで 秩序を維持する
ために制裁が行われたという 共通性があります。
閉鎖された不良グループのなかで 生きていくには 何も言わない
こと、 何も考えないことが 求められる。 だから 誰も ブレーキを
かけることができなかったのでは ないでしょうか」 と、 
ノンフィクション作家の藤井誠二氏は語っています。(週刊文春 同号)

いずれにしても、 本当の仲間であれば、 許す勇気も必要なのでは
ないでしょうか。
「18歳選挙権」が実現しようとしています。 6月4日の衆議院本会議で
全会一致で可決し、 6月17日にも この国会で成立の見通しと
言われています。
今回の事件でも 被害者の顔写真と名前が出ているのに、 加害者は
顔写真も名前も出ないのは なんとも不公平と思います。 
18歳を「選挙権」を持つ立派な大人 として扱うのであれば、 
合わせて、 一刻も早く 「少年法」が改正されることを 強く望みます。


皆さま、 どう思われますか?