皆さま ごきげんよう

今も昔も、 渋谷のデートの待ち合わせといえば.......

「ハチ公」前が とっても人気ですよね。

皆さまも きっと、 一度はご経験が おありでしょう。

忠犬ハチ公のことは 日本人は知らぬ人がいないのですが、

意外と知られていないのが、 誰が主人、

つまり どなたが 飼い主で あったかです。

飼い主は上野英三郎博士。 博士は大正13年、

まだ東大の農学部が駒沢にあった頃の教授でした。

忠犬ハチ公没後  「ハチ十年」を ご存知ですか?

3月8日に、 あの愛すべき ハチ公没後 八十年を記念して

東京大学農学部の庭園に 上野英三郎博士と 忠犬ハチ公の

銅像が設立され、 その除幕式が ありました。 

この日、私は朝からこちらの本郷での除幕式、 セミナーに、

その後、  蒲田で 「闘犬」 についての シンポジウムに

出席してきました。

その後、堀之内にある宗延寺で行われた、 日蓮宗山主  

嶋田日新猊下の うちわの一周忌に 参列しました。

なんと 東京を上下左右という 目がまわるほど 忙しい 一日

で したが、 とても有意義で、 充実した日を 過ごしました。

「闘犬」 のシンポジウムについては、後日ご報告しますので、

お楽しみに。

始めに 東京大学農学部長の 古谷 研氏 のご挨拶と

説明がありました。

 

式典は 東大農学部の学生による 演奏から 始まりました。

銅像には 白い布がかぶせられています。

 

 

大学関係の諸氏、 名誉教授方、 多数のご寄付をなさった

方々が 二列に並んで 除幕式をつかさどります。 



めでたく銅像が現われ、 博士の死後、 90年ぶりに

出会えたということもあり、数百人の観衆の方々は

拍手喝采。

  
除幕式の後、 弥生講堂でセミナーがあり、 

東京大学名誉教授の 林良博氏 が

“ 親バカ ”  ならぬ “ 犬バカ ”  の お話をなさいましたが、
 
ユーモアにあふれていて とても 面白かったです。

そして、 私達は多くのことを知ることが出来ました。

まず、博士は 現在 私が住んでいる 神山町にいら して、

ハチは 毎日 神山町通りを歩いて 渋谷駅まで往復

していたのでした。

いつも 私も 歩いている 「通り」 です。

とても 感慨深いものが ありました。

 

こちらは、弥生講堂に飾られていたお雛様。

とても品のいいお顔の 素敵なお雛様でした。

 

上野博士の 銅像です。

 

秋田犬のハチは、 秋田県大館市(現)の 斉藤義一さんの所で

生まれ、 上野博士のもとには 大正13年1月に ゆずられてきました。
 
博士は 駒沢の東大農学部まで 渋谷駅から通っていました。

ハチは 博士を毎日 渋谷駅まで送り迎えをしていました。
 
博士に愛情いっぱい注がれて 可愛がられて過ごしたのです。

しかし 一年余り後の 大正15年5月 上野博士は、  突然急逝

してしまいます。

この日を境に ハチは 数奇な運命をたどりますが、
 
ハチの幸せを考えて 上野夫人は、 ハチを小さい時から

可愛がっていた 上野家出入りの 植木職人である
 
小林菊三郎のもとに 預けます。

その後の ハチの毎日の渋谷駅通いは 皆さま ご存じのとおり、

主人の死を知らないハチは、 その後も 約10年もの長い間

渋谷駅に通い続け、 帰らぬ人となった博士を 待ったのです。

そして、ついに フェラリアで 倒れます。

 

人々はハチの死をいたみ、 渋谷駅前に ハチの像を建て、

その魂を とむらいました。

ハチを敬い 、「公」 をつけたのです。 
 
改札口を出てきた 上野博士を 見つけて 喜んでとぶ

ハチの像は、 人と犬の愛の濃密さを あらわした像 なのです。



ハチのことを思うと、わたくしは とても切なくて、

胸が苦しくなるのです。

人と動物というのは、一度 信頼を得られると、

非常に強い 「絆」 が 生まれるものです。


この日、 多くの秋田犬に似た大型犬を連れた

方々が見えていました。  ご紹介しましょう。

 

 

  

皆さまも、 ワンちゃん、 ネコちゃん、

その他 ご家族の一員である 動物たちに、

どうぞ いつまでも 愛情と慈愛の心を お持ちになって

お育てになってあげて くださいませね。


最後にセミナーの後、求めたご本をご紹介します。

ハチと 上野博士像プロジェクトの 発案者である

同大学教授である、一之瀬正樹・正木春彦両氏編で、

ハチと 博士との 絆の物語に とどまらず、とても

アカデミックな すばらしいご本です。

 
東大ハチ公物語ー
上野博士とハチ、そして人と犬のつながり
(一之瀬正樹・正木春彦 編) 東京大学出版会