皆さま ごきげんよう

先月、「難民を助ける会」の 35周年の集いが

東京プレスセンタービルで 行われました。

1979年に設立してから 35年間 それは沢山の 活動をしてきたのです。

1970年代後半、大量の難民が ボートピープルとなって

インドネシア半島から脱出、世界に 支援を求めました。

日本は 「難民に対し 冷たい 日本」という 批判を受け、

日本人の善意を 示そうと 相馬雪香様が 67歳のとき

「日本は何もしない」と憤慨され、「インドネシア難民を助ける会」を 設立、

日本人が 一人 1円出せば 1億2千万円になると、

全国に 支援を呼びかけ 目標は 4ケ月で 達成しました。

相馬様は 「議会政治の父」と謳われる 尾崎行雄氏の

三女で、相馬藩 第32代当主 相馬恵胤氏の夫人。

そして キリスト教的運動である イニシアティブス・オブ・チェンジ

(「対立する 世界(文化、国籍、宗教等)をつなぐ 信頼を築く」ことを

目的として 活動する国際的な 組織)の 名誉会長でもありました。

相馬様の 〝許しあうということがなければ、 世界に平和は 訪れない〟と

いう言葉が 私の心を震わせ、 相馬様から 沢山のことを

学ばせていただきました。

国会議事堂の前にある〝憲政会館〟は

「憲政の神様」と 言われた 相馬様の父、尾崎行雄氏を記念して

建てられたのです。 尾崎氏は 94歳まで 衆議院議員を務め、

名誉議員の称号を 贈られたのです。  当選25回、

議員勤続63年は 日本記録です。

「難民を助ける会」は カンボジア、タイの国境にある 難民キャンプで

支援活動したり、 日本に逃れてきた 難民の方々に 学習指導や

奨学金の支援、 また  内戦や 飢餓に苦しむ アフリカにも 支援場を拡大、

難民キャンプへ 看護師派遣、支援物資の配布、井戸の掘削・技術指導、

クリニック建設などを 行いました。

1991年、 旧ユーゴスラビアでの 支援を開始、その時から名称を

「難民を助ける会(Association of Aid ・Relief、  Refugees = AAR)」と

して、 欧米への 初めての 支援活動となったのです。


元 タンザニア大使の 黒河内康氏の 挨拶・乾杯から 始まりました。

 

左から 友村自生氏 (財団法人 イオンワンパーセントクラブ事務局長)

長有紀枝(おさ ゆきえ)氏 (「難民を助ける会」 理事長)、 私、

右端は NPO  ジャパン・プラットフォームの 石崎登氏、 


 

「難民を助ける会」は、 〝困ったときはお互い様〟の

精神で 活動を続けているのですが、
 
スタッフの方達は 今まで インドネシア・スマトラ沖 大地震、

トルコ東部地震、 阪神淡路大震災、 東日本大震災など

災害の起きた 危険地域に  どの支援団体よりも 真っ先に

乗り込み 緊急支援を行っているのです。

私は そんな「難民を助ける会」 を 応援しなければと

協力させていただき、 今年で 16年目になります。

そして この日 「難民を助ける会」より 〝感謝状〟を

頂きました。 

 
 
私のお隣は 柳瀬房子会長、 他の方々は

相馬様の 出身校である 学習院〝草上会〟の方達です。

 

「難民を助ける会」では、 柳瀬房子会長が 文章を

絵本作家の 葉祥明氏が 絵を担当し、

地雷廃絶キャンペーンの 絵本も 作成しています。

絵本の収益は すべて 「難民を助ける会」の

地雷対策や 障害者等の 支援活動のために

充てられています。


 




故 相馬雪香様の 思いを 考え、 許しあうこと、それはお互いを理解し、

尊重しあうことが、 どんなに大切なことか、一度 皆様にも

考えていただきたいと思います。


皆さん、 どう思われますか?