熊本県は 13日に  同県多良木町の養鶏場で

鶏が大量死し、「鳥インフルエンザ」の簡易検査で

6羽が陽性、うち2羽の遺伝子検査で

「高病原性インフルエンザ・ウイルス H5型」が

検出されたと発表がありました。

その後、 県は11万2千羽の殺処分を開始、

昼夜問わず、 急ぐため 自衛隊も参加、

16日朝までに 拡大を防ぐための措置が完了したと

発表がありました。

13日の感染確認から 24時間体制で、 丸3日間

続けられた封じ込め作業、 2つの養鶏場では

あわせて11万2千羽に鶏、エサなどを

敷地内に 埋め、 鶏舎内の洗浄などの

防疫措置を行い、 作業は完了したのです。


2010年3月には 「口蹄疫」が流行、 28万8643頭の牛・豚・水牛が

殺処分され、その損失は 畜産関連で1400億円、

関連では950億円とも言われました。

また、 2004年には 九州一円に 「鳥インフルエンザ」の

被害が拡大し、全国への波及が危惧された中、

京都府丹波町の養鶏場で 2月中旬より 鶏の斃死が発生、

1043羽が死んだのが 確認されたのですが、府に報告しませんでした。

その後 約7000羽が 死んでから 、匿名の電話で通報があり、

発覚、出荷を停止しなかったことで 感染の疑いのある トリ肉や

卵が 流通したことに加え、 約5キロ離れた養鶏場でも

二次感染が判明、 被害を 拡大させる結果と なったことがありました。

この時には その京都の養鶏場のオーナーが

メディアからの すさまじい 攻撃が集中、結果、オーナー夫妻が

自殺するという 悲しい結末となったのでした。

その時、 殺処分された鶏は 何と 177万羽、幅8.5m、長さ50m、

深さ4.5mの プールのような 大きな穴 2つに 埋めさせられ、

負債総額は 26億5千万円となり、 廃業に追い込まれたのでした。

当時、 「鳥インフルエンザ」など まだ  誰も知らず、

中国大陸から 渡り鳥によって うつされたと言われ、

発症は 天災に近いものなのにもかかわらず、
 
このオーナー夫妻に対して 一代で築き上げた

近畿圏で最大手の会社でもあったため、 妬みも

あったのでしょうか、 世間のバッシングは

このご夫妻を 庭の木に 背中合わせで

首をつって自殺させるまで 追い込んだのでした。

死んだ鶏を 隠したいと思うのは 許せる 範囲の

人の誤ちではないでしょうか!?



「鳥インフルエンザ」は その後、

2005年6月に 茨城県で H5N2型が 発生、

2007年には 宮崎県と 岡山県で 合計4件の 発生がありましたが、

5月8日には OIE(国際獣疫事務局)の 規定に従い、

清浄国と なったのでした。

しかし、 2008年5月、秋田県、北海道の オオハクチョウの

死骸から ウィルスが検出され、

2009年2月 愛知県の ウズラ農家で 日本では

初の H7亜型ウィルスを 確認、

2010年11月 島根県安芸市の 養鶏場で 感染した鶏 13羽が死亡、

当養鶏場の 鶏 2万3千羽を 殺処分、

2011年1月には 愛知県、 宮崎県、 鹿児島県の養鶏場から

「鳥インフルエンザ」 被害が 相次いだのでした。



2010年の「口蹄疫」流行時には 国の補償対象は

計1379戸、 補償額は 感染農家が 288億円、 

ワクチン接種農家が 240億円の 総額 528億円が 賄われたのです。

2004年の 「鳥インフルエンザ」の時には

その補償額など 全く 無かったのではないでしょうか!?

その時も、きちんと 国から補償されていれば、京都の養鶏場は

自己破産、廃業、そして オーナー夫妻が 自殺に追い込まれる

羽目にならなかったかもしれません。



今回、 また 熊本県で「鳥インフルエンザ」が発症しましたが

その対応は 素早く、 拡大することを 徹底的に 防ぐ措置が

取られたのです。

「鳥インフルエンザ」の発症原因は これ!と言えるものはなく

渡り鳥が 中国から 流行しているウィルスを運んで

伝染、  拡がっていくようです。

どこで発症するか 事前に防ぐことも 全く わからない

問題なのです。

万が一、 運悪く、 また 発症したならば、

報告を速やかにし、 拡大を 最小に防ぐようにして

すぐ補償も明白にすれば、病気でない沢山の鶏までも、

殺処分することもないのです。

人間が生きていくため、 牛、豚、鶏などが 大切に

育てられているのです。

人間の手によって 悲しい処分をせねばならないのは

本当に 心が痛みます。



皆さま どう思われますか?