今夜のお通夜は 残念ながら 私は 海外ロケで

伺うことが できません。



週末の11日 午後、  淡路 恵子さんが 

ご逝去 されました。

日テレで  「 笑神様は突然に!」  番組の収録を 

終えた途端に 入ってきた 悲報でした。

昨年11月には 一度 危ないときも おありになったので

この冬は もしかしたら もう越せないかもと 覚悟はしていたものの

もう 永遠に 会えなくなって しまったのだと 思うと

悲しみで 胸がふさがれる 思いでした。

初めて お会いしたのが 私が18歳、 淡路さんは 24歳でした。

彼女は 既に  ビンボー・ダナオさんと 結婚していらっしゃいました。

私達は 共通の カナダ人の友人があり よく一緒に お食事を

しました。  彼女ほど 日本人離れした 素晴らしいスタイルを持ち

魅力的で センス抜群で、 素敵な 煙草の 吸い方をする人は

いませんでした。  何と 55年以上の おつきあいでした。

大恋愛もあり 幸せいっぱいの時も あったと思いますが

その頃 私は外国にいて、 私が知る 彼女は 苦難続き

壮絶な人生を 送っておられました。

錦之介さんの 残した膨大な借金、 愛する三男 晃廣さんを

失った時、 「 親不孝っていうのは、 親より先に 死ぬことよ」と

その深い 悲しみを 訴えておられた。
 
そして再び 迎えた  四男の 逮捕と 自殺。


彼女が 常々TVなどで  話していたのが

「人生 私は 地獄なんて 思ったことがありません。

 
   
全てを やり尽くしています。

 
  
 
ああしておけばよかった と思うことは ありません。

 
  
生まれる時も 死ぬ時も 人間は 1人よ と。

 
  
皆さんも 報道などで ご存知の方も 多いかもしれませんが

人生の 山も 谷も 波乱も 如何なる壁も 乗り越えて

ご苦労を 苦労とも思わず 受け止め 決して 悪口や愚痴のない

強靭で 聖女のような お心を 持たれておられた 淡路 恵子さん。

私より 少しお姉さんですが 大親友であり

楽しかったいい思い出も  沢山あります。 

特に 最近は TVで ご一緒していましたから。 



 

黒澤 明監督の  "  野良犬  " で 初主演したときの

若き日の 淡路さん。 
ハリウッド映画の  " ショウ・ボード " では 

日本人女優の中から 抜擢され ウイリアム・ホールデンと

共演もしている 淡路さんは 国際女優の はしりでも あります。

本当に 昭和の大女優でした。

大きな宝が おひとりいなくなられて 深い悲しみの 中にいます。

今は ただただ 安らかに ご冥福を祈る 気持ちしか

言葉が 思い当りません。