マチュピチュ村の 初代村長は 日本人!

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皆さま、 ご存じでしたか? 今や 世界遺産で有名な 「マチュピチュ」 、


なんと この村の初代村長は 福島県出身の 野内与吉氏 という


日本人だったのです!


この日本人村長さんのお話の前に ちょっと 日本人移民について


触れさせて頂きます。


日本人が 初めて海外移住したのは 明治元年でした。 それ以降、


昭和の大戦終了時までに 移住した人は 北米20万人、 ハワイ20万人、


中南米20万人、 樺太28万人、 中国27万人に及んでいます。


主に 貧農の 二男、 三男 という人たちが一番多く移住され、


低賃金で過酷な労働を強いられ、 また 荒地の農園開拓者として


筆舌に尽くせぬ ご苦労をされたようです。


その中で ペルーに渡った 日本人二世の フジモリ氏 Alberto Kenya


Fujimori Fujimori は 貧困と、 差別、 迫害など 様々な苦難を乗り越え、


ペルー共和国の 大統領になられたことは まさに 日本の誇りです。 


そして このたび 私は ペルー大使館主催の 「マチュピチュ村の 初代村長」


を語る講演会に招かれ、 フジモリ氏のように ペルーに貢献した日本人


野内与吉氏のことを知り、 彼に関する講演を 拝聴して参りました。



会場は 広尾にある ペルー大使館。


デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba


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今回の講演の講師は、 マチュピチュ村の初代村長 野内与吉氏のお孫さん


日系ペルー三世の シーザー・ヨシロウ・ノウチ氏です。


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野内与吉氏は、 福島県安達郡大玉村出身。


1919年に ブラジルに渡り、 その後ペルーに入国し 大変な困難を乗り越え、


1935年には マチュピチュ村初の 本格的木造建築 3階建てホテル


「ホテル・ノウチ」 を開業しました。


スペイン語のほかに 英語も話せ、 ケチュア語にも精通していた 野内氏は、


手先が器用で 創意工夫に富み 苦労を厭わず、 村のために尽くして 多くの


村人達に喜ばれたそうです。


こうして村人の人望を集め 信頼された 野内氏は、 1946年 43歳の時に


マチュピチュ村 初代村長に任命され 3年間 村長を 務められました。


そして この偉業を 日本が知るきっかけとなったのが、


1958年、 三笠宮殿下のペルー訪問でした。


マチュピチュ遺跡を見学した際に 野内与吉氏の長女 オルガ・野内氏が


三笠宮殿下に 花束を贈呈した記事が 「福島民報」 に掲載され、


その記事を 野内氏の家族が 目にしたのです。


これにより 音信不通だった 野内与吉氏の消息が明らかになりました。


1968年、 野内氏は 故郷である福島県の大玉村に帰郷し、 家族との対面を


果たすことができました。 帰郷した際、 家族の方と写した写真です。


左から2人目が 野内与吉氏です。


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野内氏は 帰郷している間、 ペルーを紹介するための 講演会など行い


大玉村の人々に ペルーの魅力を伝えていたそうです。


その時の 貴重な肉声が テープに残されています。


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野内氏は ペルーで待つ 11人の子ども達のために わずかな滞在で


日本の家族と別れ ペルーに戻りました。


ペルーのクスコに戻って わずか2か月後の 1968年8月29日、


野内与吉氏は 息を引き取られたそうです。


まさに マチュピチュ村に 生涯を捧げられた人物といえるでしょう。


講演会の講師 シーザー・ヨシロウ・ノウチ氏 のアコーディオンの伴奏で


お母様の ジョセフィナさんが インカの言葉として最後に残された


”ケチュア語” で歌を披露されました。


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野内与吉氏の偉業を知った 大玉村では、 村人の方々がペルーを訪れ


マチュピチュ村と 交流を深めているそうです。


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私は 次に 別の予定が控えていたため 講演会の途中で失礼しなければ


なりませんでしたが、 講演会講師の シーザー・ヨシロウ・ノウチ氏が


「祖父 野内与吉氏の 資料館を作ることが 夢です」 とおっしゃった


言葉が 印象的でした。


是非、 お爺様の資料館を 完成させていただきたいですね。


そして 野内与吉氏のような 日本人の誇りを通して 国際交流の輪が


広がっていくことを期待します。