私は この土,日(8月4日~5日)、 3日より 前のりで
NPO法人 「きものを着る 習慣をつくる 協議会」主催の
プロジェクト委員長として、 ボランティア活動 “浴衣配布会” のため、
東日本大震災の被災地 陸前高田と 南三陸町に 行って参りました。
昨年6月に行った時は 波に全てをさらわれ、
家々は土台石を残しただけの 平地になっていたところが、
現在は 雑草に 覆われていました。
緑があるだけ 少し 見栄えは良くなったものの・・・
建物の中は まだ この有様です。
ビルの ひさし部分の天井は その時の波の強さを 物語っています。
このビルの屋上に登っても 助からなかったようです。 合掌。
まだ そのままの ガレキの山。
病院、学校・・・ 屋上に駆け登った方、 助かったのでしょうか・・・。
車が 無残にも こなごなに。 波の強さの恐ろしさ。
沢山の民家があった所が、 今や平地に。
道がどこにあったのやら。 雑草がのび放題。
ここに住んでいた方達は 今どこに?
橋をも破壊した 大津波。
陸前高田市にある 米崎保育園で 「浴衣 配布会」を。
NPO法人 「きものを着る 習慣をつくる 協議会」は
理事長 中塚 一雄氏(宗教家)は、 昨年から 何回も 被災地を訪れ、
ボランティアの 協力者の方々の助けをもって
全国の呉服店から 集められた 新しい着物や浴衣、 小物・草履・下駄、
古着も混じえて 被災者の皆さんへ 贈っています。
昨年は 「喪服」も 大変 重宝がられ
新年には 成人式を迎える方々のための 「振袖」が
大変 感謝されました。
暑い中、 沢山の方が お越し下さり 行列が出来ていました。
私のご挨拶。 右の白い着物の方は、 銀座「わび庵」の会長
林 芳郎氏です。 NPO 「きものを着る 習慣をつくる 協議会」の
外では 皆さんが開場を 心待ちにして 並んでいます。
スタッフの方々が 一生懸命 準備をしています。
いよいよ開場! 皆さん笑顔です♪
バスを 3回も乗り換えて 私に会いに来た という方もありました。
幼稚園の壁に 可愛らしい 願いが込められた短冊の飾り。
「ハイハイが 上手にできますように」 ですって。 ほのぼのしますね。
皆さん 限られた時間で 争奪戦が始まります。
あまりに 多くの方がおみえになったので、
選ぶ時間は わずか10分!
お子さん用の おすすめをしているところです。
この部屋に 冷房は無く、 汗 だくだくです
この様子は NHK 盛岡放送 釜石報道局より オン・エアされました。
お子さん達と 灯籠に流す絵を 描いています。
陸前高田市の マスコットキャラクター "たかたのゆめちゃん"と。
ボランティアの スタッフの方々と。 今日一日 ありがとう。
夜 陸前高田市内の 「大昌苑」にて 焼肉をいただきました。
中央にいらっしゃるのが、 NPO 「きものを着る 習慣をつくる 協議会」
の 中塚 一雄会長です。
北海道から 岩手、 山形、宮城、 新潟、そして 静岡、京都からと
こちらは 北海道から来た ボランティアの方達です。
翌朝、 私達は 南三陸町へ向かいました。
車中から撮った 写真です。
昨年のままです。
最後まで 「津波が来た! 皆さん高い所へ逃げて下さい!」と
アナウンスを続け、亡くなった 遠藤未来さんのいた
見ての通りです。 民家は土台のみを残し 雑草がちょびちょびと・・・。
塩をあびた木々が 死んでいます。
すでに赤くなり 枯れ、 死んでいく杉林。
赤く枯れた 杉林の前に 積まれたタイヤ。
2日目の会場は 南三陸町の 災害ボランティアセンターです。
幼い子の「ゆかた」を選ぶのは 喜びです、 こごんでいる 私。
皆さん 言葉も発せず 選ぶのに夢中です。
このお子さんには 黄色地に ピンクの花柄の 浴衣を選びました。
この日は 仙台放送 南三陸支局の方や 東海新報の方々が
来て下さいました。
若いカップルと お子さん達と。
良かった 良かった 生き残られて。
この会の参加は、 両日とも 「罹災者証明書」を 提出できる方のみ
に限られます。
着物・浴衣・小物等は 全国の呉服店などから 集められました。
中には 練馬区の56才の方から こんな手紙付きで
送られてきていました。 胸 熱くなります。
外でも この地区の産物の 展示即売会が 行われていました。
私も 昆布、わかめ などを いただいたり、お土産に買ったり致しました。
帰りに 昨年訪れた 防災センターに立ち寄りました。
まわりの建物も あの当時の恐ろしさを 物語るかのように
鉄骨のみが 残されています。
昨年 私が訪れた時は無かった 「献花台」が出来ておりました。
見ただけで 心痛み 涙する私でした。
あゝ 何と悲しいことでしょう。
亡くなられた 皆様の御霊を思い 心より ご冥福を祈って・・・合掌。
悲しきかな 塩を浴びて 赤く枯れ 死んでいく杉林。
陸前高田の たった一本残り シンボルとなった
こちらは 昨年6月に訪れた時の 被災地の様子です。
南三陸町の町のようす。 舟が陸に乗り上げています。
昨年 宮城県東松島市 大塩市民センターにて 炊き出しのボランティア。
昨年 お会いした 被災者の方々と 再会が出来、
皆さん とても 喜んで下さいました。
“提訴問題” などで 心労重なり 疲労困憊の 私に
励ましと 勇気を 皆様からいただきました。
~追伸~
今回は 時間が無く 南相馬へ行けませんでしたので
ゆかたや着物が詰まった 大きな段ボール3箱を
南相馬市役所 桜井市長宛てに お送り致しました。