先日、 13年前に 山口県光市で起きた、


光市母子殺害事件の 死刑判決が 


ついに確定しました 。


この事件は、 当時18歳と1か月の元少年が、


当時23歳の女性と、 生後11か月の母子を、


残忍 きわまる方法で 殺害し、 そのうえ 強姦と窃盗まで


行ったという、 とても卑劣で 残虐な 事件であります。



排水工を装い 家に押し入り、 本村弥生さんを


強姦目的で襲い、 抵抗されたことから 両手で 


首を絞めて殺害。 はいはいしながら 寄ってきた


夕夏ちゃんを 床にたたきつけ、 泣き止まなかったため


今度は ひもで 首を絞めて殺害。 すでに亡くなっていた


弥生さんを 強姦し、 財布を盗んで 逃走した。


夫の 本村洋さんが 帰宅したとき、 弥生さんは 口を


粘着テープで覆われ、 両手足をテープで縛られており、 


夕夏ちゃんの首には、 布製のひもが 縛られていた。


しかしながら、 加害者が18歳であり、少年法が


適用される 少年であったことから、 この13年間、


「死刑」 か、 それとも 「無期懲役」 かと、 判決は大きく


揺れ動いてきました。


被害者遺族である 本村洋さんは、 この13年間、


メディアで 報道されたように、 加害少年に対する 「死刑 」を


強く訴え、 裁判で 闘い続けてこられました。


そして 2012年2月20日、 13年という 長い歳月を経て、


「死刑確定」という終止符が ようやく打たれたのです。


しかし、あくまでも 裁判上の 終止符にすぎません。



そして、 愛する妻と子を 一度に失った夫の 本村洋さんは、


加害者の 大月( 旧姓・福田 )孝行 被告が 死刑となっても


一生涯 その悲しみを ぬぐえず、 心の痛みにたえながら、


怒りと戦わねばならず、 苦しみは 死ぬまで 続くのです。



皆さまも 本村さんの 生の声を テレビを通して聞き、


心を打たれ、 大変 印象に残っているのではないでしょうか。


私も、 この事件は 事件発生当初より 大変注目しており、 


加害者の元少年を 許し難く、 絶対に「死刑を科すべきである」


と 思っておりました。


日本における 現行の少年法は、 アメリカをはじめとする 


諸外国と比較しても、 加害者に対し とにかく 甘すぎます。


アメリカでは、 残虐な殺人事件の場合、


犯人が 子供であっても 大人の刑法が 用いられます。


それでも 日本の 「少年法」 では、 18歳に達していれば


死刑を科すことはできるのですから、 本件における 


加害少年にも 本来なら 死刑を 科すことはできるのです。


18歳の誕生日を迎えてから わずか1ヶ月しか


経っていないからといって、その年齢が


死刑を 回避する 理由にはなりません。


それほどの 罪を 犯したのです。


身勝手で卑劣 かつ冷酷 ・ 残虐な方法で 


何ら落ち度のない 被害者らの尊厳を 踏みにじり、


二人の生命を 奪い去った犯行は、 非人間的な所業です。



この 大月孝行被告 に、 果たして 更生可能性があると 


思われますか?


皆さんも ご存じのとおり、 この男は


第1審判決が「 無期懲役 」となったことから、


控訴審の期間中、 獄中から友人宛てに


とても 反省しているとは 思えない 内容の


手紙を 送っています。


その中身は・・・


「犬が ある日 かわいい犬と 出合った。


そのまま やっちゃった。これは罪でしょうか。」


「(本村洋さんに対し) ありゃー ちょーしづいてると


ボクも 思うとりました。」 と、 被害者や 被害者遺族を


侮辱する文章、 さらに 「無期は ほぼ決まり。


7年そこそこで 地上にひょっこり芽を出す」 という、 


大変ふざけた 内容でした。



さらに 死刑になるかもしれない という不安から、


差し戻し控訴審では、今まで認めていた


事実 (殺意) を 否認し、 傷害致死を 主張しはじめたのです。


その内容は とても あきれる程 酷いものでした。


被害者を 死亡後に 暴行した行為を


「 生き返らせるための 復活の儀式 」 といい、


赤ちゃんを殺害後、 押入れの天袋に 入れたことについては、


「ドラえもんが 何とかしてくれると 思った」 という始末。


このような言動をする 少年に、 更生する可能性など


微塵もありません。



事件発生当時は18歳だった少年も、


この差し戻し審判決時には すでに27歳になっているのです。


しかも 獄中で 自分の名前を 「福田孝行」から


「大月孝行」に 変えているのです。


一体 何のためでしょう。


「出獄」 した時の ためでしょうか。


事件から約10年の間、 反省するどころか、


ふざけた供述を しはじめたのですから、


更生可能性が全くないことは 明白。


この男に 悔悟や反省は 一切みられません。



これは、 少年本人に 問題があることは もちろん、


このような言動を引き出した、 少年側の弁護団にも


問題があると 思います。


これらは 突如 今までの弁護士が変わり、 21人という


とてつもなく 多勢の So called 人権保護 弁護士団体が


ついたことに 関係があるとみて よいでしょう。


これら 上記の ふざけた主張は、 この21人の弁護士が


考えたものでは ないのでしょうか。


つまり、 当時 18才という少年は、 まだ思考が幼稚で


あるため・・・という理由で、 責任を逃れようとして


いるのでしょう。



何故 日本では 被害者の人権が 無視されたり


軽んじられるのでしょう。


本村さんは 被害者と 遺族のために 


この13年間、 涙ぐましい 努力をもって 戦ってくださいました。


その結果、 現在、


1) 法廷への 遺影の持ち込みや、


2) 法廷での 被害者等の 意見陳述、


3) 訴訟記録の閲覧 ・ 謄写 


4) 検察審査会に対する 審査申し立て


等が認められるようになり、 


被害者遺族が 守られるようになりました。




先日の最高裁では・・・ 


母子の尊厳を 踏みにじった 犯行は冷酷、残虐で非人間的。


虚偽の弁解を 弄したことで、 更生可能性は 大きく減殺し、


真摯な 反省の情を うかがうことはできない。


死刑選択を 回避する 特に酌量すべき 事情は


見当たらず、 刑事責任は極めて重大である。


として、上告は棄却。 死刑判決が確定しました。


これは至極 当然のことであります。 



本村さんにとって、 長い長い13年間でした。


12年前の2000年には、


「 司法に絶望。 早く被告を 外に出して、


私の手の届くところに 置いてほしい。


私が この手で (大月)を 殺します 」


11年前の2001年には、


「 妻と娘の 最後の 表情や言葉を 


君は(大月は)忘れてはならない。 


それが 君の犯した 罪 だからです 」


10年前の2002年には、


「 司法に対して 私に成り代わって 敵を討てることを 


切実に願ったが・・・


自らの手で 敵を討つこともできず・・・


私は何と 無力な人間だろう と、 今 痛感しています 」


などと おっしゃっていた 本村さんですが、


死刑判決が 確定し


「 これで 初めて 墓の前で 弥生と夕夏に


1つのことを 報告できます 」 と おっしゃっています。



いつも 凛 としていた 立派な本村さん、 その姿は 


日本中の人々の 心を動かし、 敬われました。


そして最後に  「 この裁判で 勝者はいない 」


と、 静かに おっしゃいました。




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