相馬・南相馬の方々を 激励・慰問した後、




私達は 急ぎ浪江の方々(全員 8,000人)が




緊急避難している 二本松へと向かいました。




浪江市庁自身が、 二本松へと 




引っ越してしまっているのです。






私達は ホットスポットになってしまった




飯舘村を通りました。




美しい山々に囲まれた 飯舘村。




ここが 放射能に汚染されてしまっているなんて、




誰が信じられましょう。




それ程、 山々の緑が美しく、




のどかな風景が広がっているのでした。




人々の悲しみや苦しみをよそに、




葉が心地よさそうに 風に吹かれ、




眩しい新緑が 澄み切った青空の下に




映えていました。








まだ早いうちに 二本松の 福島県男女共生庁に着きました。




庁の前広場で 私達は 残った物資を




3台の車に、 3つに分けました。




そして 浪江の 被災者の方達がいらっしゃる




岳温泉のホテルへと 向かいました。






浪江の方達は、 山上の 素晴らしい庭園を持つ、




  *くぬぎ平ホテル


 

  *へき山亭




  *東三番館




に避難していました。




きっと このホテルのオーナ方の 




心温まる好意からなのでしょう。




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故郷を やむを得ず 捨て、 




いつ帰れるかわからない、




不透明な未来、 不安を抱えながらいる




多くの 浪江の人達。




しかし、 古民家で お風呂もお手洗いも自由に使えず




困っている方々を思うと、 ずっとマシ。




地獄の中の幸いでしょうか。




ここには 多くの お子さんがいらっしゃって




皆 元気そうでした。




走ることも出来、 遊び場も困らないようでした。




良かった! と胸をなでおろしました。




私達が、 計5日間で 陣中見舞いを出来たのは 21か所。








ここ3か所は 時間が無く (ボランティアの方達のために 




電車のある時間内に 東京へ戻れるよう)




只、 お土産を差し上げる 時間のみでした。




はじめ、 ロビーには 人が少なかったのですが、




またたく間に 大勢の人たちが。




全員に喜ばれたのは、 虫よけスプレー、 うちわ、




女性に喜ばれたのは やはり お化粧品と、




下着(紙パンツ) と服、 




男性に喜ばれたのは、 Tシャツと下着、




お子さんには、 文房具、 遊び道具等でした。





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皆様に ちょっと ご挨拶。




私の「浪江」へに対しての思い入れと




想い出を語りました。




皆さん、 シーンときいて下さいました。



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名残惜しい お別れでした。




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皆さんに 送られて。



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サインして差し上げる時間がなく、




握手も早々に 発たねば なりませんでした。



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