12日 日曜日、後楽園ホール に友人方と ご一緒に ボクシング ジャブ を



拝見しに 行ってまいりました。
 

ボクシング 勝者 界にも 具志堅 氏とか 内藤大助 選手とか お友達は


いるのですが、私、個人的には ボクシング 勝者 は そうそう見に 行く事は



ありません。 



主催者の フラッシュ赤羽プロモーション 川島 勝会長 と 清田 裕三選手



とは  “桜りん会” の関係で 存知あげていたので 伺う事になりました。



会場は 熱気で ムンムンしておりました。



最初の試合は、 OPBF 女子 東洋太平洋 フライ級王座 決定戦、



四ヶ所麻美 vs OA・ゴーキャット(タイ)



タイの ゴーキャット 選手は 髪の毛を 短く カットして 少年のようでした。 



6才若い ゴーキャット 選手の方が 体力的に 有利なのではないかと 思って



いましたが、麻美 選手の方が、 さすが 技術的に 数段上で、白熱戦の後、



麻美 選手が 王座を 勝ち取り、 初代の 東洋女子チャンピオンの タイトルを



獲得いたしました。


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余談ですが、 女子のボクシングには ノックアウトは ないのだそうです。



試合が 終わった後、負けた ゴーキャット選手が 試合後の ご挨拶として、



麻美 選手と、 握手・抱擁 握手 を交わそうと、 麻美 選手の方に 2回、3回



近寄り、 凱旋で 両手を上げて 四方に挨拶を している 麻美 選手を 立ち止



まって 待っていましたが、 麻美 選手は 一度も 振り返らず、ゴーキャット



選手は 諦めて リングを 降り、 立ち去りました。



こういう時は、 麻美 選手の 周りの人間が ゴーキャット選手が 挨拶に



来ていると 教えてあげて、 勝者と敗者が 抱き合って、 握手をして別れる



美しいスポーツ精神を 見せるべき だったのでは ないでしょうか? 



とても残念でした。 ガーン



試合では ゴーキャット選手の方が 負けましたが、 ゴーキャット選手の方が



国際的な 礼儀を わきまえていました。 



観客も 全力かけて 負けた敗者にも 拍手をもって 送ってあげたいものです。



両者に “よく戦った” と 賞賛の 拍手を 送る 機会が ほしいものです。


     
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             四ヶ所麻美選手と







その次の試合は、 日本ライト・フライト級 タイトルマッチ、 



            嘉陽 宗嗣 vs 宮崎 亮




タイトル保有者の 嘉陽 選手に 宮崎 選手が 挑戦した形です。 



具志堅氏 のお弟子である 嘉陽選手 は大変な人気でした。



試合開始直後、 嘉陽 選手は、 頭をもって、 宮崎選手の左こめかみを



強く打った為、 試合が一瞬止まり、 宮崎 選手が 視力を 回復するまで



数秒待った後、 試合が開始されました。



私が 座っていた横の人たちが、 「嘉陽 選手は いつもあれをやるんだよ。



そして 相手の視力を 弱めちゃうんだ。」 と怒っていました。 



双方、 力いっぱい 全力尽くして 戦っていましたが、 まともなパンチが



多く見えたのは、 宮崎 選手のようでした。



お二人共、 頭や 顔から 血 血 を流し、 レフリーの 両手も 血に染まり、



お二人の グローブ ボクシング の腕の方も 血に染まり、 返り血を浴びたり、



ボクシング って 命をかけた試合のようで、 本当に大変な スポーツです。



嘉陽 選手は、 タイトルを 宮崎選手に 残念ながら 奪われましたが、 



挑戦者の宮崎選手の方が 精神的に 楽だったのかもしれません。


    
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王座を 勝ち取るのも 大変、 それを保持するのは なお 困難、 タイトルを



獲得した 麻美選手も 来年は 挑戦者と 戦わねばなりません。










クリント イーストウッド 主演・監督の 『ミリオンダラー ベービー』 



という映画 映画 を思い出してしまいました。 




あの胸に迫る 底知れぬ悲しみと感動、 あの映画を見た人でないと味わえぬ、



また、 話し合えぬ映画 映画 でした。



あの映画が たくさんの アカデミー賞を 受賞したのが分かります。



ただの ボクシング 界の映画 映画 だと思ったら大間違い! 



この映画は 人間の深い、 深い 最後の 「尊厳」 の問題でした。 



つまり、 「安楽死」 を 認めるか、 認めないか、許すか 許さないか!!!  



「あなただったらどうしますか?」 の問題です。



この映画を見た方、御意見を是非お聞かせ下さい。



あの映画を見た後、 私の心は重く、 何日間も考えてしまいました。



クリント イーストウッドは 最後に ミリオンダラー・ベービーの ライフラインを



抜き、 いずこへか消え去って しまいます。



映画を見た方、 あなただったら どうなさいますか?



あなだったら クリント・イーストウッド が取った行動と 同じ事を



なさいますか?








ふたたび タイトルマッチ に戻りましょう。



OPBF 東洋太平洋 スーパーミドル級 タイトルマッチ 



チャンピオン 清田 雄三 vs インドネシア チャンピオン リアント・シマモラ



私が 廊下に 出た先に イスに座った インドネシアの選手を 見つけました。



お付の人間はたった一人、 他の選手方は、 何人もの付き人に 囲まれ、



沢山の 応援団の 声援があり、 名前を 書いた 派手な のぼりが 一角を



占めていました。



私は 彼を一瞥しただけで、その人が 何故 チャンピオン 清田選手に 挑戦をと



不思議に 思いました。 



人気の無い 薄暗い所に ショボンと 座り、 戦う気迫が 見えなかったのです。



二人がリングに 上がった時、 日本の国歌が 流れ、 そして インドネシアの



国歌も 流れました。 長いインドネシアの国歌を 聞いている内に、私の血は、



インドネシア人 そのものになって 行きました。 


     

リング上での インドネシアの リアント・シマモラ選手は、 初めから腰抜けの



態をなし、 体はプヨプヨで、 引き締まった筋肉など どこにも見当たりません



でした。 

    

      
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私がインドネシアに居た時は、 インドネシアには サッカーと



バドミントンが 盛んでしたが、 ボクシングなど 聞いた事がありませんでした。



清田 裕三選手は 筋骨りゅうりゅう 鍛え上げた すばらしい体を していました。



試合開始後すぐに、「練習してからやって出て来い」 というヤジが飛びました。



一目瞭然の この試合に、 清田選手の 応援団は、 拍車をかけるように



応援の大歓声を あげていました。



リアント選手は ニコって笑っているよう、  両手を あごの辺りに おき、 



「打って来ていいよ、 打って来ていいよ。」 と言っているかのごとくの風情。



この様子に憤慨した私は、 思わず大きな声で、 だらしない リアントに



「リアント! 頑張れ!」 と叫んでいました。  そういたしましたら、 



清田選手を 応援していた 人たちの間で ざわめきが 起こりました。



私は、 続けて インドネシア語で、 「プックール クラス (強く打て)」 とか



何回か 大きな声で叫びました。 清田選手の応援団達は、 予期しない私の



応援の迷走に 度肝を 抜かれた様子で、 静まり返ってしまいました。



そうこうしている内に、 3ラウンド位するか、 しない内に、 白人のレフリーが



試合を止め、 清田選手の勝利を 宣言いたしました。



前の 二つの試合が 迫力ある 真剣勝負だった為、 なんとも救われない



気持ちでした。



私の後方から、 「デキレース試合」 と言う声が 聞こえて来ました。 



内藤 大助 さんと 江本 孟紀 さんが、 何故 最後の試合を  見ずに



帰られたのか 判った気が しました。



清田選手に、お花を差し上げてから、 友人とのディナーの為に 会場を



後にしました。




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           帰りに、 小錦さんと バッタリ

       すっかり やせて(?) いらっしゃいました。