4日 朝から 中川昭一元財務兼金融相の訃報が 報じられていました。



突然の知らせに ショックを 受けました。



私の頭を横切ったのは、 「何故?」 でした。



やはり、政治家としては 二代目の どちらかといえば 恵まれた環境で、



大臣までなった人が ローマでの泥酔事件で 辞職せざるをえなくなり、



(ご家族は お酒ではなく、風邪薬とおっしゃってますが)



また今度は 政権交代の余波を受け、衆議院選挙で落選。



精神的に さぞ 打ちのめされていたことでしょう。



中川氏の死で 永久に浮かび上がれないのは 


もしかしたら 奥様 ではないのでしょうか。



夫人は 3日夜9時過ぎに 帰宅されたとき、中川氏がベッドで 眠っているか



のように見えたため、そのままにして、翌日午前8時過ぎに 寝室に入った



ところ、息をしていないのに 気をつかれたことですが..........。



眠っているように 見えたということは、上を向いて 寝てらしたのでしょうか。



いずれにせよ、もしお二人が 寝室を ご一緒にしていたならば、きっと



中川氏の異変に気がつき、119番をしていて 助かったかもしれないと思うと



奥様は きっと一生ご自分を 責められるでのはないかと



思うと気の毒でなりません。



その昔 池田勇人首相が 喉頭ガンで亡くなられたとき、池田夫人が私に



「声に変わりが見えたとき、気がついていれば..........。早期発見で治ったかも



しれない。」 と、それはお気の毒なほど 悔やんでいらっしゃいました。



私が弟を、なんとか死から 救えなかったのか、救うことが 出来たのでは



ないかと、一生十字架を 背負っておりますが、 きっと夫人も それは



悔やまれ 同じ思いで それは重い鉛を 心の中に入れ込んでしまって



いらっしゃるのではないかと 若き夫人(50)が お気の毒でなりません。



中川元財務相の死は 今の自民党を象徴しているかのようです。

 


自殺ではなく、財務大臣をスキャンダルで 辞任させられ、選挙で落選という



初めての恥辱を味わい、只の人になってしまい、暗雲立ち込めた先の見通しに



つい 断っていたお酒をまた始め、不眠のため睡眠薬も とられていたということ



ですが、ベッドの上に嘔吐の跡があり、睡眠薬も大量にのんだという 形跡は



ないということですので、自然死と思いますけれど、ご自身きっとご自分が亡くなる



とはご存じないほど、心身ともに衰弱なさっていたのではないでしょうか。



飯島愛ちゃんも やはり うつぶせで亡くなっていましたが、愛ちゃんもまさか



ご自分が死んでいくことを 知らなかったのではないかと思います。



宿命なのでしょうか?



死は突如訪れるものなのでしょうか?



私は最期の最後まで 死ぬことを わかって 死んでいきたいと思います。



中川氏は ”お坊ちゃん”で 逆境に 耐えられなかったのでしょうか。



残されたご家族や友人、それから支援者に言葉にならないショックを



与えてしまってます。



夫人が中川氏に「よっ、日本一!」と声を 掛けられていたのを思い出します。



それにしても お父様の中川一郎氏は 自殺してらっしゃるし、一説には



一郎氏が83年に 札幌市内のホテルで 自殺なさったとき、その原因は



当時秘書であった 鈴木宗男氏にあるのではないかという噂や それが



週刊誌の記事になったこともありました。



鈴木氏は 一郎氏の跡をついだ 昭一氏と 旧北海道5区で 4回戦い、



先の総選挙では、昭一氏と争った民主党候補を 鈴木氏が支援し、



昭一氏の比例復活当選も 許さない 完全勝利を収めることに加担しました。



その鈴木氏は 中川氏死去に際し、「もっと話すことがあったのに」と 涙を



流していらっしゃいました。



皆さんは 中川昭一氏の 突然の死を どう思われますか?