訃報が続きます。


小学館元社長の相賀徹夫氏が、
昨年12月21日、肺炎のため死去されました。 83歳でした。
先日3月5日に帝国ホテルにて「お別れの会」が開かれましたので、
出席させていただきました。


この方が亡くなられた時、小学館に長く勤めていた方が、
「もう辛くて、半身をもぎ取られたようで、何も考える気力がなくなった」、
「親の死より辛い」と声をつまらせているのを聞いて、
「こんなに社員から泣かれるほど慕われている相賀さんは、

なんと幸せなトップだろう」と追想録で瀬戸内寂聴氏が書いてらっしゃいます。


私も、その知らせが信じられなくて呆然とし、
深い悲しみが突き上げてくる思いがしました。


1960年代初期、私の名前が世に出はじめた頃から、
私は日本の週刊誌の標的となっていました。
その中でも小学館の「女性セブン」、 光文社の「女性自身」、
講談社の「ヤングレディ」、 主婦と生活社の「週刊女性」。
各社それぞれ “デヴィ番” と呼ばれる担当記者を置き、私を追っていました。
中でも小学館、光文社は、少し大げさかもしれませんが、
お金に糸目をつけない取材攻撃を続けていました。
記者が私を追うのに一日中ハイヤーを貸切り、豪華なレストランで会食をし、

私がパリに行く際には、同じファーストクラスの席を取ってついてきました。


とにかく、私の記事を書けば雑誌が売れた時代でした。


この頃、私は小学館のまだ若き社長 相賀徹夫氏と、

小学館本社にてお会いしました。
なかなかハンサムな方で、いつもダンディーぶりを発揮しておられました。
またお洒落でお酒の強い方でもありました。
あの方がもう少し背が高かったら、俳優になられていたかもしれません?
鶴田浩二と佐田啓二.をあわせたような素敵なお方でした。


小学館のご紹介をしましょう。
小学館は1922年に父、相賀武夫氏により創業。
1925年に相賀徹夫氏が生まれる。
学習雑誌・児童書用を主に扱い、「小学一年生」シリーズなど大ヒット。
集英社、祥伝社、等々などを傘下に国内最大手出版社となる。
彼が13歳の時にお父様が死去。

その後東京帝国大学文学部宗教学科に学ぶ。
敗戦の混乱の中社業再建の為奔放し、47年大学中退、実務に専念。
63年「女性セブン」、69年「週刊ポスト」を創刊。
週刊誌ジャーナリズムの一翼を担うなど、小学館の中興の祖となる。
54年間に渡り小学館の総帥として君臨、児童書出版業界の発展に尽くす。
92年社長退任し、取締役相談役に退き、93年から相談役となった。


「相賀徹夫 追想録」小学館 より


デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba-1

社機「小学館号第2号機」(複座式セミソアラー)の

前部操縦席に乗って(1961年 36歳)


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創業50周年を迎えて(1972年 42歳)



心より相賀徹夫様のご冥福をお祈り申し上げます。

                                      合掌