なんて情けない日本の政治家、マスコミ、評論家たち

腑抜け、腰抜け、気骨精神ゼロの

       日本の政治家たちは恥を知れ!

麻生首相、あなたはこんな事を

放っておいてよろしいのですか?

あなたに本当におじい様の血が入っているのか、

疑いたくなってしまいます。

不甲斐ないあなたを、

墓場の影で憂いているかもしれませんね。

日本をダメにしている戦後教育が、

こんなに問われているこの時期、

 まず第一に、

田母神前空幕長の論文をとやかく言うのは原則的に、

言論の自由の束縛。

 第二に、

「村山談話」(後述)を日本の歴史認識ということにし、

それに反したとして田母神氏を

更迭とするなんてもっての外。

浜田防衛相のこの不見識は許されない。

日本政府はいったい何をしているのでしょう。

 第三に

村山元首相の「村山談話」、

これを機に正すべきではなかったか。
この体たらくな日本の政治家、情けないの一言につきる。


この事件を知らない方のために;

 マンション・ホテル開発会社、アパグループ主催の

 「真の近現代史観」懸賞論文で

  最優秀賞を受賞した田母神元空幕長の論文が

 「政府見解と明らかに異なる意見を

  公にすることは、空幕長として不適切」だとして

  浜田防衛相から更迭を申し渡されてしまった事件。


適材適所の石破元防衛相を農林水産相にして、

日本の威厳と日本民族の誇りを失わせ、

日本の国益を損なわせるような

こんな人を防衛相にするなんて

麻生首相もどうかしています。

更迭されるべきは浜田防衛相ではないでしょうか。


田母神氏の論文には、

「もし日本が侵略国家であったというのならば、

当時の列強といわれる国で

侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。

よその国がやったから日本もやってもいい

ということにはならないが、

日本だけが侵略国家だと言われる筋合いもない。

我が国が侵略国家だったなどというのは

正に濡れ衣である」とある。


「週刊新潮」に、私と同じ思いの方々が

色々と話されているので、以下引用させて頂く。


防衛省関係者は、田母神氏について

「とにかく即断即決の人で、

思ったことは自分の判断ですぐやれ、

マッハの速さが大事なんだと、いつも言っていましたね。

階級にこだわらず人の意見は聞くし、

細かいことにも頓着しない。

だから部下にも人気があって、OBの評価も高かった。

靖国神社の春秋の例大祭にも

制服姿で欠かさず参拝している。」と
おそらく今回の論文は、積年の思い確固たる持論を

披瀝したに過ぎない、ということなのだろう。
だが、それが、「政府見解」と異なると

更迭されてしまったのである。


政府見解とは、

95年8月15日、時の村山富市首相が発表した

「戦後50年談話」、いわゆる「村山談話」に他ならない。

が、先の大戦を「日本の植民地支配と侵略だった」として

アジア諸国に“土下座”してみせた形のこの談話、

成り立ちにせよ内容にせよ、

今なお極めて強い批判があるのは周知の通りだ。

「それは、誕生の経緯からして

政治的色彩の強いものでした」と

外交評論家の田久保忠衛氏は語っている。



当時の運輸相だった平沼赳夫氏が後に

“何故、あんなものを閣議決定してしまったのか”と

後悔するほど問題のある歴史観だった。


中西輝政京都大学大学院教授は、

「日本は全面的に戦争責任を負う、

連合国側は何の落ち度もないと言わんばかり。

これこそ史実に反しており、

真実を伝えていないと言わざるを得ない。」
「東京裁判以降、日本の戦後史学は

自虐史観と呼ぶべき硬直した解釈に

囚われてきました。

ですから、田母神さんのような方が

正しい歴史認識を示されたのは

大変喜ぶべきことだと思っています。」


前出の外交評論家の田久保忠衛氏は、
「政権が代わっても、村山談話は政府の恒久的な

歴史認識であるかのように位置づけられてきました。
しかし、実際にはこの談話こそが正しくないのであって、

田母神氏が談話に反しているとの理由で

クビになったのは、おかしいと言うしかありません。

談話の方を見直すべきではないかという議論に、

どうしてならないのでしょうか。」

佐瀬昌盛防衛大学校名誉教授は、

「自衛隊員に個々人の発言を問題にするということは、

思想や良心、または言論の自由を侵しかねず、

憲法違反になりかねない。

なのに中立性を求めると言うのは、

隊員の頭の中を無職透明にせよと命じるに等しく

その論理で行けば、隊員の頭の中味を

いちいちチェックしなければならない」と


つづく