それからの数年間は、なんとか平和でした。私は相変わらずSを父親とは思えないものの、Sが養ってくれているのはありがたいと思っていました。私は本を読むのだけが生きがいの地味な女子だったけれど、少ないながらも友達もいて、いたって普通の小学校時代を送りました。
そんな私の人生を変えたのが、中学になってからでした。中学一年の終わり頃から、私はいじめられるようになりました。その頃、身体障害者を揶揄する、「シンショウ」という言葉が流行りました。そこから、しゅがーには「シンショウ」の妹がいる→しゅがーって暗くてきもいよね→あいつも「シンショウ」じゃね?→しゅがーに触るとしゅがー菌がうつるぞ という流れになったみたいです。あっと言うまに、私とは誰も話さず、机は離され、掃除の時に私の机を運ぶのをみんな嫌がる…などの状態になりました。学校に行っても一言も離さないのもザラでした。行事があっても、弁当は一人で食べました。
殴られたりするわけではなかったけど、学校というものが世界の全てかのような中学生の私にとっては、死にたいほど辛いことでした。
母がSと一緒に住みたいと言いだして、おばあちゃん、3おばちゃん、5おばちゃんは反対しました。会議みたいなのが何度も開かれました。私も一緒に住むのは嫌だ…と弱々しく主張しました。そもそもSの実家も大反対している様子でしたが、2人の決心は固いようでした。Sは、しゅがーと妹の父親になるつもりだ、と言いました。
私は嫌でした。そもそも、31歳になった今ですら、わからないのです。父親というものが。
父とは何なのか。
父とはどんなものなのか。
結局、私の訴えもむなしく、いつのまにか私は母とSと一緒に住むことになってしまいました。
一つだけ嬉しかったことは、妹がとうとう退院できて、一緒に住めるということだけでした。
おばあちゃんの家を出る日、おばあちゃんは母に「後々面倒なことになるような気がするよ。あんたは老いていくばっかりなのに、娘はどんどん綺麗になっていくんだよ。養父が義理の娘に手をつけるってことは本当に多いんだよ」と言いました。すると母は「何でそんなこと言うの~」と泣いていました。私はそれを、自分のことではないみたいに、違う世界で起こっていることみたいに、見ていました。
そのせいでしょうか、一緒に住み始めてから、母は私を「不器量だ」とか「妹は心臓が悪いけど、顔はしゅがーより可愛い」と言うようになりました。
母の言葉は私の内部に消えないシミのように残りました。
さて、それから一年経つか経たないか…という頃でした。
ある日母が、私に「お母さん、この人と付き合おうと思ってるんだ」と写真をみせてきました。写真の男は、男、というより男の子でした。あとから知りましたが、男は母より13歳も年下で、まだ21歳だったのです。「子供みたい」と私が言うと、母は笑っていました。私はあまりいい気分ではありませんでしたが、その時は何もいいませんでした。
その夜、3おばちゃんと5おばちゃんが私に写真の男のことをお母さんに聞いたか、と聞いてきました。私は「聞いたよ」と言いました。おばちゃん達は、母が男と出会ったのは妹の病院と言うがどうも怪しい(※数年後、それはやはり嘘でカラオケ屋で出会ったことが判明)とか、13歳も年下って…とか、まだ妹が病気じゃなくて、しゅがーにも構ってあげられている状況ならともかく、しゅがーをほったらかして…などと話していました。
私はまぁ、私には関係ない、母が幸せなら、と思っていました。
その時はおばちゃん達も、私もすぐ別れるだろう、と思っていたのです。
しかし。
2人は別れませんでした。そしてしばらくして、母が「男くんと会って欲しいんだけど」と言ってきました※この先男をSとします。
私は嫌でした。
母が誰と付き合うのも勝手だけど、正直母が「女」なのを見るのは気持ち悪いし…と思いました。しかし、私が返事をしないと、母が悲しそうな顔をしたので、罪悪感を感じ、会うことを了承してしまいました。
数日後、会ってみると、普通の人でした。普通の人、というより男の子で、優しい人でした。相変わらずの母が「女」なことに対する気持ち悪さはあるものの、まぁまだ良かった、という感想でした。
Sはもう妹の病院にも何度も行っていて、妹はSにすごく懐いているらしい話を母がしていました(※補足ですが、妹は重病だったので、妹の病室には中学生以上しか入れませんでした。なのでまだ小学生だった私は、妹が年に1~2回だけ数日退院してくる以外、妹と会うことは出来ませんでした)。妹はそのせいか、最近随分調子が良くなったと母は言っていました。
私は、まぁ、たまに会うだけならいいけど、積極的に関わるのは嫌だな、と思っていました。母がSと私を仲良くしようしようと仕向けているのが感じられたのも嫌でした。
しかししばらくして、ついに母はSと私と妹と一緒に住みたい、と言い出したのです。

今から思うと、私はその頃、小さな咳払いが止まらなくて、よく色んな人に突っ込まれていました。最近存在を知りましたが、それはおそらくストレス性のチックだったのではと思います。その頃から今でも、私は「嫌」となかなか言えないのです。典型的なアダルトチルドレンだと思います。