「自分との約束」か「あとで己を大きく見せたい」か。...選択肢。 | 「向こうの景色を見に行こう」

「向こうの景色を見に行こう」

“ツインレイ”は自分を信じて進みましょう。あなたにはもう、他者の答えは不要なはずです。
「自分を生きる方が面白い」

それは未知です。 誰も知りません。 あなただけが知っている。

あなたの人生を語り合う相手が、あなたにはもういるはずです。

舌切り雀(したきりすずめ)とは、日本のおとぎ話の一つである。

あらすじ
むかしむかしあるところに心優しいお爺さんと欲張りなお婆さんの老夫婦がいた。ある日、お爺さんは怪我をしていた雀を家に連れ帰って手当てをした。山に帰そうとしたが雀はお爺さんにたいそう懐き、お爺さんも雀に情が移り、名をつけて可愛がることにした。しかし、雀を愛でるお爺さんの様子をお婆さんは面白くなく思っていた。

お爺さんが出掛けたある日、お婆さんが井戸端で障子の張り替えに使うために作った糊(続飯)を雀は食べてしまった。怒ったお婆さんは「悪さをしたのはこの舌か」と雀の舌をハサミで切ってしまい、痛がる雀にお構い無しに、どこにでも行ってしまえと外に放ってしまう。そのことを聞いたお爺さんは雀を心配して山に探しに行くと、藪の奥に雀たちのお宿があり、中からあの雀が出てきてお爺さんを招き入れてくれた。

雀は、お婆さんの糊を勝手に食べてしまったことを詫び、怪我をした自分を心配して探しに来てくれたお爺さんの優しさに感謝を伝えた。そして仲間の雀たちとたいへんなご馳走を用意してくれ、歌や踊りで時が経つのを忘れるほどもてなしてくれた。帰りにはお土産として大小2つのつづらが用意されていた。お爺さんは、自分は年寄りなので小さい方のつづらで十分と伝え、小さなつづらを背負わせてもらい「家に着くまでは開けてはならない」と約束され雀のお宿をあとにする。家に帰り中を見てみると金や銀、サンゴ、宝珠の玉や小判が詰まっていた。欲張りなお婆さんは、大きなつづらにはもっとたくさん宝物が入っているに違いないと、雀のお宿に押しかけ、大きい方を強引に受け取る。雀たちから「家に着くまでは開けてはならない」と言われたが、帰り道で待ち切れずに約束を破りつづらを開けてみると中から魑魅魍魎や虫や蛇が溢れるように現れ、お婆さんは腰を抜かし気絶してしまう(魑魅魍魎に食い殺されてしまう、または、妖怪から命からがら家へ逃げ切り改心するという説もある。また、お婆さんは約束を守り自分からつづらを開けなかったが、手を離した瞬間に自然につづらが開いてしまったとする説もある。)。その話を聞いたお爺さんは、お婆さんに「無慈悲な行いをしたり、欲張るものではない」と諭した。

***

 

私はずっと自分との約束を守りましょう。

 

 

・・・

 

《全ライトワーカーに告ぐ》

己の向き合いたくない闇から目を逸らしたいが故に光を名乗っている“だけ”なのは、あなたの発言を見ればわかります。

 

肩書きに自惚れることなく生きていきましょう。

 

 

と言う話をしているんですけど……。
なんとなく伝わらないんですよね。


で、何が違うのかと考えました。

たぶん。
あとで「大きく見えるかどうか」がそれに取り組むかどうかの基準なんですね。
 
“目の前の何か”ではなくて。


だからそれが< あとで大きく見えない >と知ったら、平気で興味を失ってしまうんですね。
途端に、やりたくなくなる。と言うか。

そうやってえり好みができることは羨ましいような気はしますけどね。

自分で選んだ以上は。
後になってどんなにそっちがよくてもやらないとねぇ……。


私がそう言う風に向き合えるようになったのがいつだったのかはわかりません。

親の教育だったのかもしれません。
考えたら確かに。

自分で決めたことは守るように。と言う教育方針だったようにも思います。

それに苦しんだこともあるんですけどね。
よかったこともあります。


いろいろ考えながら、そんな話あったよなぁ。と思ったら、舌切り雀でした。

・自分は年寄りなので小さい方のつづらで十分とお爺さん
・大きなつづらにはもっとたくさん宝物が入っているに違いないと大きい方を欲張りなお婆さん

まぁ。男だから、女だから。と言う話ではありません。

 
己を知っているか。

まずそこからか……。


「自分との約束を守れ」と言っても、伝わらないはずです。