結局、ツインレイを掲げながら、それを一番疑っているのは本人なのかもしれません。
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つまり、その発想の時点で、そもそもツインレイの第一サイレントの突入条件を満たしていないのです。
→「本来の私はもっと違うものであったはず」みたいなところですかねぇ。
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私はずっと、これが引っかかっています。
エディプスコンプレックス(独語:Ödipuskomplex,英語:Oedipus complex)は、ジークムント・フロイトが提示した概念で、母親を手に入れようと思い、また父親に対して強い対抗心を抱くという、幼児期においておこる現実の状況に対するアンビバレントな心理の抑圧のことをいう。男根期に生じ始める無意識的葛藤として提示された。日本では訳語としてエディプス複合と呼ばれることもある。フロイト派では男女ともに適用される用語であり、心的発達の重要な転換点として、また神経症の発症段階として注目されている。
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女児のエディプスコンプレックス
女児はペニスがないために男児と発展過程が異なる。
女児も男児と同様、最初は母親に愛情を抱き続けている。ただ女児が成長するとともに、同性のクリトリスが小さいのを見たりして、子供の女性にはペニスが無いことを徐々に認識し始める。ただしこの時点ではまだ女児は「大人になったら私もペニスが生えてくるんだ」と信じているのだという。[要出典]
男児との違い
男児は去勢コンプレックス(父親に去勢されるかもという不安)から母親を手に入れることを諦め、エディプスコンプレックスが崩壊するために、近親相姦の欲望などは放棄されることになる。しかし女児は去勢コンプレックスが生じて、それが契機になって母親から父親への愛情対象の転換が起こるとされている。故に女児はいつまでも父親を愛したままになり、フロイトは女児のエディプスコンプレックスはいつまでも続き、崩壊するきっかけがないと言っている。
そのため、女児には男児のように強力な超自我が生じないと言う結論を主張している(明確な超自我形成にはエディプスコンプレックスが放棄される必要がある)。
フロイトは女児の場合もエディプスコンプレックスという用語を使っていた。男児も女児も同じような葛藤構造が生じるからである。弟子のカール・ユングがエレクトラコンプレックスという用語を提示していたが、フロイト自身はその言葉を採用せず、女児の場合もエディプスコンプレックスと呼んでいた。
最初、私は両性具有にでもなったのかとびっくりしました。
あ、白昼夢のようなイメージです。
夢を見ている。と言う物よりも、もっと鮮明に意識はあるのです。
なんか、付いてる……。と言うイメージです。
実際には何もありません。
でも、ちょっと重みを感じるような……。ないところにそれがあるような……。
え? と思って。
なんかもうイメージでさわれるような感じです。
エアーで撫でるみたいな。
まぁ、撫でる真似。みたいな。
...
え? じゃぁ、私の穴は?←言い方。
あ、そっちにあるの?
じゃぁ……。
大丈夫、怖くない。たぶん。
やっちまいましたねぇ。←言い方。
なんか、私は女なので、いつも受け入れる側なのですが……。
ハメる側ってすごいですね。←言い方。
安心感と言うか、受け入れてもらった感と言うか。
ぴったりはまる感じと言うか。
はまって受け入れてもらえる。
あるべき場所に納まったとでも言うような多幸感。
まぁ、なんか、イメージですイメージ。
夢より現実のような夢だけど熱い。
……。
よくわかりませんね。
まぁ、いつもそんな感じでエロエロなのです。
これはあれですねぇ。
はまっちゃいますねぇ……。
もう、それ以外考えられないような……。
...
なんか意識したら、そこにあるような気もしますが……。
それにいたずらを仕掛けるのは止めておきましょう。
私は女で、貴方は男です。
私にそれはなくていいのです。
……。
なんか、変な夢みたな。と、一言で終わらせるには現実ですねぇ……。
いったいなんだったのだろうか……。
その時はまるで、夢が現実なのです。
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話は変わりますが、私の7人目のツインフレームの彼女が面白い話をしていました。
世明けのツインレイ 魂の法則性によるツインレイ解説
ツインレイ男性とツインレイ女性の罪の浮き彫りとインナーチャイルドの構造
2024-03-03
私たちは、生まれてこのかた『無意識は全員男性性』により構築されている。父神により生まれた私たちは『男』でしかなく、この地上では『男女』の概念は在れども、インナーチャイルドが女として存在することはない。
この地上で生きるには、暴食により食べなければならない。色欲により繫栄しなければならない。強欲によりお金を手に入れなければならない。嫉妬により誰かよりも優れなければならない。怠惰により何もしたくない。傲慢により自分は誰よりも偉い。憤怒より自分以外の誰かが悪い。この思想がなければ、生きるにはとうてい『バカをみる』状態になる。
これが『この世の罪』であると七つの大罪は語っているのである。
しかし、この地球は『女性性』により構築されている。つまり、女性性により育てられた私たちは地球に根差すのではなく、天から降りてきた罪人である状態が長く続いている状態が七つの大罪だ。つまり、地球と繋がれていない人は七つの大罪を抱えている状態で、未だかつて許されていないとも言える。それは『自分が罪を犯していることに気づいていない』ということだ。
この世の人たちはナイフを握り、人へ襲い掛かっては強奪をし、我こそが天使であると語っているのである。
しかし、ツインレイによる出会いにより『七つの大罪が許せない状態』へと育っている人たちもいる。
それは「環境のせいにしない」「人のせいにしない」「自分の人生の責任は自分でとる」ことになる。
傷ついたインナーチャイルドたちはこのように語る。「親のせいで自分の人生はめちゃくちゃだ」と。しかし、それが我等の人生であり、またその人生のなかでも希望を見失わず、自分の人生に対しての責任を取ろうとしている人たちだっている。
その人たちは『暴食しない』『色欲に溺れない』『人から奪わない』『人の人生を恨まない』『努力をする』『人よりも偉くならない』『怒らない』ことを徹底している。これが私たちの持つ道徳性であり、倫理観であり、人たらしめる意識だと信じているためにある。
それはいかなることがあっても「なにかのせいにして自分の人生から逃げないこと」である。
それは『女性性のインナーチャイルドを手に入れるために必要な意識』である。
...
母は「子の抱えている罪までもを愛している」のである。わかりやすくいえば「あなたが悪い子でも愛しているよ」ってことなんだ。
私たちは母の優しさに甘えて七つの大罪を犯し続けているけど、でも、子供の魂じゃなくて、そろそろ神である母から自立したいと思ったとき、私たちは「母の優しさに甘えていてはいけない」のである。
罪とは甘えである。七つの大罪は母への甘えであり、私たちはずいぶん長く甘え続けていたように思う。
ツインレイたちにとって重要なことは「母への甘えを断ち、自立していくこと」である。それは美徳を得ていくことである。
暴食をしない。
色欲に溺れない。
人からものを奪わない。
人の幸福をねたまない。
行動をしない。
偉くならない。
怒らない。
これは『禁止』である。私たちは私たちへ「悪いことをしない禁止」をすることで、自立の一歩を踏み出そうとしている。
ここから、私たちは「与える」ほうへ向かっていかなければならない。
人に食べ物を与えること、人に食べさせてあげること。
人の欲求に応えること。
人にものを与えること、お金を与えること。
人を幸福にすること、人の幸福を願うこと。
行動を起こすこと。
人を成長させること。
人を楽しませること。
私たちは、大人になったら『母』へとなり、多くの人へ与えていく方へ切り替えていかなければならない。
与えるものがあるとき、私たちは与えていく。見返りがない状態となり、自分よければそれでいいだなんて言葉にできなくなる。誰かが不幸なとき、私たちはその不幸を思えば「なにかの行動をとり与えること」が出来るようになっていく必要性がある。
問題はその辺かもしれませんね。
と言う理想があるのでしょうか。
でも、究極で言ったらその時それでどうなったのかわからないですよね。
男と女で違うからです。
それとも、
と言うことでしょうか。
いくら親を怨んでも。
やっぱり、金銭事情とか生活環境とか。親側の事情がいろいろありますよね。
まぁ。どっかに不満があるんでしょうね。
生と死の狭間で。
……。
(本来の私はもっと違うものであったはず)
ってことですかね?
親が違えば人生違っただろう。みたいな。
世明けのツインレイ 魂の法則性によるツインレイ解説
ツインレイの個性化とアニマとアニムスの統合
2023-12-17
人を殺したほどの強い衝動を私たちはひた隠しにしている。誰かを恨むとき、私たちは必ず頭のなかで誰かを傷つけているだろう。その意識そのものが私たちの殺意にある。その殺意そのものを抑圧しきるとき、私たちは『シャドウ』と呼ぶ自らの陰湿な側面性を持つ——少なからず真っ当な人生を送っていきたいというのであれば、目を瞑っていきたいと思う自己の側面性が分離を起こす。
もし、ツインレイと出会い、サイレント期間に『闇』と向き合うのであれば、私かこの闇こそが『シャドウ(影)』だと実感する。少なからず、私は当事者と出会い、「私の影」だと感じた。そして同様に「私は一歩間違えればこのようになっていた」という事実にも直面したものである。
影と直面する私のなかに生まれた感情は『嫌悪』『軽蔑』というような強い感情にあった。
それこそが私たちが持つ、個人そのものを形成するために必要な『アイデンティティの影』にあり、私たちを不自由にしている意識そのものにある。
「私は一歩間違えればこのようになっていた」
「鏡」って、こう言う意味ですか?
これは確かに、その境界は越えられないかもしれません。
鏡が、鏡のままです。
世明けのツインレイ 魂の法則性によるツインレイ解説
夜の世界と昼の世界
2024-04-19
あなたは誰も知らないけれど、今度の世界であなたは誰かと出会うよ。
誰かと出会ってきたとしても、その人が「誰なのか」をあなたは知らなかったよ。
今度は「誰なのか」を理解して関わるよ。相手と自分の心を合わせて生きていけるよ。でも別々の存在だよ。
心の中にある鏡はなくなるよ。投影はいらないよ、あなたはあなたになれるよ。
鏡はガラスだよ、ガラスを破壊するよ。破壊すれば、あなたは誰も投影しないよ。誰もあなたになれない。
あなたはあなただけになれるよ。
あなたは誰も知らないけれど、今度の世界であなたは誰かと出会うよ。
誰かと出会ってきたとしても、その人が「誰なのか」をあなたは知らなかったよ。
今度は「誰なのか」を理解して関わるよ。相手と自分の心を合わせて生きていけるよ。でも別々の存在だよ。
心の中にある鏡はなくなるよ。投影はいらないよ、あなたはあなたになれるよ。
鏡はガラスだよ、ガラスを破壊するよ。破壊すれば、あなたは誰も投影しないよ。誰もあなたになれない。
あなたはあなただけになれるよ。
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3種類のツインレイの出会いの違い
2種類のツインレイの違いは
・親をビジョン化させた異性の象徴
・自分の異性像
・ツインレイ
というようになっています。
まずは、親をビジョン化させた異性の象徴から説明していきます。
...
親をビジョン化させたツインレイ
世明けのツインレイでは、親をビジョン化させた異性の象徴であるツインレイを『地上のツインレイ』や『偽ツインレイ』という言葉をつかっています。
...
このなかで、一番引きずられやすいのが、親との確執を乗り越える人たちです。
親との関係性が不穏だった人たちにとって『ツインレイは最悪的な存在』でもあるんですが『その人が好きでたまらない』っていう状態です。
つまり、親に対しての愛情があればあるだけ、最悪なツインレイをも受け入れなければならないということ。
親が嫌いだから愛していたわけですが、本当は好きになりたかったですよね。でも、好きになれないから愛していた分だけ、ツインレイとの関係は険悪です。
ツインレイの相手を好きという自分の気持ちを相手に受け取ってもらえない状態も続きます。ですが、一番に受け取らなければならないのは『自分』です。
最終的に「自分がツインレイの相手を好きなんだ」ってことを自分で受け入れることで終わります。色々と。親をビジョン化させたツインレイは『人を好きになることを肯定的に捉える』ことでもあるんです。
何度も恋をしてきた人たちがツインレイには多いです。それは『人を好きになること』を肯定的に捉えることが出来ていないからでもあります。
親をビジョン化させたツインレイたちを本当の意味で『人を好きになることを受け入れる』ことが出来れば、親との確執は終わり、次に新しく『自分にいい人』がやってくる状態です。
これが偽ツインレイのあとに本当のツインレイがやってくるっていうメカニズムでもあります。
それはもちろん、貴方ではありません。
そうなると、その次の「自分をビジョン化させたツインレイ(ツインフレーム)」の相手も思っているその方でいいみたいです。
なんだかわかりませんが、
「私のツインフレームの相手は誰だったのだろうか?」