「かつてはかれらも英雄になろうとした。…フリードリヒ・ニーチェ」 | 「向こうの景色を見に行こう」

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ツインレイ(魂の片割れ)は「己の真実」を生きるのです。それがどう言うことなのか、自分で考えられるはずです。

己の人生に責任を持って、自分と向き合って、「0」から進んでいける覚悟を持てるのがツインレイです。
それは“新しい”創造のはじまりです。

「凡人はそのできることをしないで、 できもしないことを望んでばかりいる。…ロマン・ロラン」

 

 

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かつてはかれらも英雄になろうとしていた。
かれらは、いまでは放蕩者でしかない。
かれらにとって、英雄は恨みと恐怖の対象だ。

 

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

(Friedrich Wilhelm Nietzsche)
1844年 - 1900年
ドイツ・プロイセン王国出身
思想家であり古典文献学者

 

 

英雄とは、自分のできることをした人である。
ところが、凡人はそのできることをしないで、できもしないことを望んでばかりいる。

 

ロマン・ロラン(Romain Rolland)
1866年 - 1944年
フランスの小説家、評論家

 
理想主義的ヒューマニズム、平和主義、反ファシズムを掲げて戦争反対を世界に叫び続け、フランスでは評価されなかったが国際的に多くの知友を持った。 
 

 

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と「理想主義」で何かを思い出しました。
過去に引用した覚えがあるのです。

 

この記事にありました。

 

私は「人の幸せを祈る」ことはしません。

 

 

内容をまた引用します。

 

ルネサンス期の政治学者 マキャヴェリ 『君主論』

 

人間がいかに生きているかという現実と、いかに生きるべきかという理想は、はなはだしく乖離している。したがって、理想を追うあまり現実を顧みない人は、足元をすくわれてわが身を滅ぼすことになるという、マキャヴェリの忠告である。若いころは理想を夢想するが、現実の人生に出てみれば、仕事にしても結婚にしても、自分の思い描いた理想どおりに行かないことをいやというほど味あわされる。理想の夢は砕け散り、日々の仕事や生活に追われ、現実の中で立ち往生することもしばしばである。たしかに現実の重みを知らない理想主義は、楽天家、若気のいたり、お坊ちゃまの遊びと言われよう。しかし、逆に理想が自己に向かうべき方向を指し示す指針をならなければ、現実に右往左往し、翻弄されるだけである。現実を前に無力感を感じてあきらめる前に、現実に対峙しつつ、地に足をつけて粘り強く理想の方向へと駒を進めていく、重心を低くかまえた理想主義が必要ではないか。

 

 
「いかに生きているか」ということと、
「いかに生きるべきか」ということは、

はなはだしくかけ離れている。