【未来を受け入れる準備と共に あなたがその心境に立てた時 真に、この愛に生きる】 | 「向こうの景色を見に行こう」

「向こうの景色を見に行こう」

“ツインレイ”は自分を信じて進みましょう。あなたにはもう、他者の答えは不要なはずです。
「自分を生きる方が面白い」

それは未知です。 誰も知りません。 あなただけが知っている。

あなたの人生を語り合う相手が、あなたにはもういるはずです。

2つの未来を受け入れる準備する
それは、すべての運命を受け入れるために

たとえば未来に2人が結ばれるものとして

そのために出来る最善を尽くして
真実の愛に自ら向かって生きる道と

たとえば未来に2人が結ばれなかったとして

運命を受け入れる覚悟で
相手の幸せと自由意志を尊重する道を

ひとつの想いに固執すればするほど
そうならない未来に対する恐れがついて回ります

ふたつの未来を受け入れる準備があれば
恐れを超えられるからです

それは逃避でなく
真に未来へと歩む覚悟の上で

...

私たちすべてに自由意志があり
未来を創造する力があるとするなら

未来は定められたものではありません

ツインの道は結ばれることを前提とした
出来レースだという概念も

真実は2人が結ばれて

更には、共にこの世を
旅立つ時でしか証明できません

...

相手がどんな状況にあっても
自分がどんな状況にあっても

ありのままにすべてを受け入れて
丸ごとに愛すること

相手が離れることさえも
愛で受け入れること、それでも愛すること

それが真実の愛

その覚悟が無ければ
無条件の愛には至れません

...

真実は、ここから逃げられないのでなく
ここから逃げたくないのです

待つことが辛いと言いながら
本当は、待ちたいからここにあるのです

ここに自らの選択があることを
覚えておいてください

どんな未来の現実も
自己創造の結果であることを前提にして

“人事を尽くして天命を待つ”

どんな結果であっても受け入れること

すべての運命を自己責任の上で

自らの意志で歩み
未来を受け入れる準備と共に

あなたがその心境に立てたとき
真に、この愛に生きる覚悟と強さが生まれます

そして、2人の未来はまたひとつの
大きな段階へと向かうでしょう

Twinray’s Love is Forever
Ꮇ♰Ꮓ

✦ː──────────

 

 

ここで上げられているのは「結ばれる未来・結ばれない未来」ですが。


それぞれが男性・女性と独立(自立)して、互いに肉体を持った「2人」なのだと。

だからそれぞれの人生の上では「それぞれに夢を叶える」みたいなことを認め合う。みたいなものなのかな。と。

あ、それでお金を稼げるようになるか・成功するか。という問題ではありません。

 

自立(『依存の先に存在している共存』)の話です。

「ツインレイの自立(男女の経済的自立と精神的自立のメカニズム)」について述べる、私の7人目のツインフレームの彼女の話

 

それは一見、別の道を進んでいるようにも見えるかもしれません。

まるで正反対のような。

 

だけど、私たちは1つなのです。

すべて繋がっているのです。



なぜなら、それは1つを2つ(男と女)に分けたからなのだ。と。

はじまりがそうなのである。

それを「忘れることにして、ここにいるんだ」と。言う“それ”を、忘れている。

そう言うことではないのか。と。

ツインレイ(魂の片割れ)は「自分が男・女に分かれたことを忘れてここにいる」と言うのを“忘れている”と言うことです。

己が「男・女に分かれる(た)ことを“忘れる”ことにした」のを、

“忘れている”

ということです。

 

 

まぁ、ゆっちゃえばそれ“だけ”なのかもしれません。
 
 
***
 
私の7人目のツインフレームの彼女も言ってますけど。
 
ツインレイを謳って己の承認欲求を満たすような金儲けや、「私は今この段階です」と何かの上に立って人を導こうとした所で、“己の成長には至らない”のだ。と言う「ことの理解」ができた方がいいですよ。

たとえば、世間の人に『ツインレイと出会っている』とリアルに付き合いのある相手に告げることは、なかなか憚られる話になっているとツインレイステージを進む人たちは思っているところがあるかと思います。

しかし、偽ツインレイステージで挫折し、霊的覚醒することができなかった人は、精神性による側面を培うことができなかったゆえか、欲求に負けてしまい、リアルに付き合いの浅い相手に『ツインレイと出会った』とやたら滅多に告白するケースなどが見受けられます。

 

なかなか憚られる話になっているとツインレイステージを進む人たちは思っているところがあるかと思います。
 
要するに、どこまでも己の問題でしかない訳です。
 
それは「私」になる。と言うことだからです。
 
私ってそれカルハじゃないですよ。
 
 
あなた自身です。