なにやってるのかわかんないけど「あんまり堂々とやっている」からすごそうに見えるだけ。 | 「向こうの景色を見に行こう」 ※注 ブログ内容編集中→必要記事を下書き(非公開)にしています。

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“ツインレイ”は自分を信じて進みましょう。あなたにはもう、他者の答えは不要なはずです。
「自分を生きる方が面白い」

それは未知です。 誰も知りません。 あなただけが知っている。

あなたの人生を語り合う相手が、あなたにはもういるはずです。

ってことですかね?

***

 

でも、言ってしまえば私がやっているのはこう言うことなんですけどね。

 

コンテンポラリーダンスの特徴
コンテンポラリーダンスとは、振り付けがなく、表現方法やテクニックにも決まりがない自由なダンスのことをいいます。

ひとことでまとめると、「基準を持たない何でもありのダンス」といえるでしょう。

コンテンポラリーダンスには明確な決まりがなく、ダンサー自身が身体の動きで自由に表現するため、抽象的な印象があることが特徴です。

そのため、コンテンポラリーダンスはほかのジャンルのダンスと比べ、「意味不明」「わかりにくい」と称されることもあります。

しかし、その自由で抽象的な点こそが魅力ともいえます。

明確な意味や答えを求めずに、ダンサーが表現したいことを観客が各々の解釈で受け取るものだと考えてもよいでしょう。

また、コンテンポラリーという言葉には「現代的な」という意味があり、コンテンポラリーダンスは時代の最先端を体現しているともいえます。

そのため、時代とともに変化しており、定義付けが難しいダンスでもあります。

 

 

「基準を持たない何でもありのダンス」です。

究極、

「私がよければそれでいい」

のです。

まぁ、それを言ったら暴論です。

ステージでダンスを披露しているコンテンポラリーダンスのダンサーさんに怒られるかもしれません。


説明で言えばこっちです。

明確な意味や答えを求めずに、ダンサーが表現したいことを観客が各々の解釈で受け取るものだと考えてもよいでしょう。

 

 

なんか、前に近いことを述べたような気もしますね……。

 

相手がどう思うかは、「相手の自由」なのです。

究極で言ったら、
「(相手に)自分がどう思われてもいい」と言ったところでしょうか?

だって、
相手がどう思うかは「相手の自由」ですからね。


ま、まぁその辺脱線です。

話を戻します。


つまり、例えばダンスならダンスの基準を持っていて、
まして「一部の狂いも許されない」みたいな人から見たら、

確かに、

「どうしてあんなに間違えない(間違いを恐れない)でできるのかしら?」

 

みたいにはなるのかもしれません。


私ってば、

何やってるのかわかんないけど、

 

「あんまり堂々とやっているからすごそうに見えているだけ」

 

ってことないですか(˙˘˙*)?


なんだか得をしてしまいましたねꉂꉂ(˃▿˂๑)爆笑


***

 

ちなみに私はコンテンポラリーダンスの体験講座を受けたことがあります。
 
2時間で10回受けたような……その辺あいまいです。
スタジオで踊ると場所は広いし天井は高いし解放感あって楽しいです。
 
変な話間違えたそれを採用してもバレません。
 
まぁ、そう言う話は本当のステージでダンスを披露しているコンテンポラリーダンスのダンサーさんに怒られるかもしれません。(2回目)
 
 
レッスンの終盤に、最終日にそれぞれがダンスを披露すると言われました。
 
その数回前のレッスンからその準備になりました。
 
曲も自分で選んで、どう踊るかも自分で決めます。
衣装も考えました。
 
持ち時間は5分でした。曲で足りない分は最初に無音からスタートすることで合わせました。
そのように編集した動画データを音楽データに変換して、CDに入れて持って行きました。
最初は無音なので、スタートしてすぐはパントマイム、みたいなことからはじめました。
 
実際踊りましたが、さすがに動画は撮っていません。
 
先生がよかったことと、その場のみんなが見た感想を教えてくれました。
 
 
曲はこの曲です。