ずいぶん傲慢ですよね。
まぁ、きっと世間を知らないのかもしれません。
・日本では「井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る」と続くそうです。
まぁ、天才が日常生活をすっぽり抜け落ちていても、それは仕方ないのかもしれません。
なんたって、彼女の親は彼女の扱いに困っているような話も聞きました。
彼女はその分野で人に頼られたり神のように崇められながら、
方や彼女の家族は彼女の件でどこかに相談に行くような。
こう言うのを天才と言うんですかね?←
まぁ、何かの障がいとも言えるもの、と、天才を同列に扱っていいのかはわかりませんし、「馬鹿と天才は紙一重」と言ったらそれこそ差別的発言になるかもしれません。
また「誰しも一芸に秀でた存在である」とも言います。
そうなるとみんな天才です。
自分だけは天才なんだ。とのたまうのは井戸の中の蛙でしょうか?
と思ってふと「井戸の中の蛙」を調べたら続きがあると出て来ました。ただそれは、日本と中国で違うようです。
...
なんか、日本的ですねぇ……。まぁ、彼女にはぴったりかもしれませんね。←
「井の中の蛙大海を知らず」の続きは”されど空の蒼さを知る”
「荘子」の原文には、夏の虫や心がよこしまな人についての続きがありましたが、一般的には「井の中の蛙大海を知らず」の続きは「されど空の蒼さを知る」と言われています。
中国から伝わったのではなく、日本に伝わった後に付け加えられたものとされています。「されど空の蒼さを知る」以外にも、言われているものがいくつかあり、例えば「されど天の高きを知る」「されど地の深さを知る」「ただ天の広さを知る」などがあります。
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る」の意味
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る」という言葉は、確かに井戸の中の蛙は広い海があることを知らないが、井戸から見える空の蒼さなど、井戸の中の世界に長くいたからこそ見えるものを知っているという意味です。
「井の中の蛙大海を知らず」とは、「見識が狭い」「狭い世界のことしか知らない」というネガティブな意味ですが、「されど空の蒼さを知る」という続きが加わることで、「狭い世界にいるからこそ、その世界の深いところや細かいところをよく知っている」というポジティブな意味になります。
現代に置き換えると、他の分野のことは知らないけれど、自分の専門分野のことはとても詳しいという場合などが当てはまります。