だけど、そう言う“事の理解”がそもそもないのに「話も聞かずに責めるのはよくないと思います」みたいになってますよね。
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まず考えましょう。
「ルールを守らなかったのは誰ですか?」
事実は、事実なのです。
その事実に対してのアプローチは必要ですよね?
理由があれば万引きをしていいんですか?
それで相手に事情があれば商品をタダで渡すんですか?
違いますよね。
友達同士じゃないのです。
学校でもありません。
そこは「社会」なのです。
成人は社会人としての振る舞いが求められるのです。
じゃぁ「どこまでを“教育”とするか」と言うのは難しいですね。
社会と言うものを家庭で教えるのは難しいこともあります。
家庭・家族の何かを、社会や会社や店や学校に丸投げでも困ります。
そう言えば、最近は、
「噓つきは泥棒の始まり」ではなく、
「嘘も方便」が主流になっているような話もありましたね。
【読み方】
うそつきはどろぼうのはじまり
【意味】
嘘つきは泥棒の始まりとは、平気で嘘をつくようになると、盗みも平気でするようになる。
嘘をつくのは悪の道へ入る第一歩であるということ。
【注釈・由来】
平然と嘘を言うようになれば、良心がなくなって盗みも平気ではたらく人になるから、嘘はついてはいけないという戒め。
特に、身内など近しい間柄の者に対し、嘘をつきはじめた早い段階で、厳しくとがめるときに用いる。
「嘘吐きは泥棒の始まり」 とも書く。
【読み方】
うそもほうべん
【意味】
嘘も方便とは、嘘をつくことは悪いことだが、時と場合によっては嘘が必要なときもあるということ。
【注釈・由来】
「方便」とは、仏教用語で、衆生を真の教えに導く為に用いる仮の手段のこと。 目的を遂げるために、時には嘘をつくことも必要になるという意。
これじゃぁ、どこへ行っても教育は大変でしょうね。
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私は社会人1年目、正社員の仕事で業務のルールを教えてもらっている時に先輩にとある質問をしました。
私「業務のこのルールを守らなかったらどうなりますか?」
先輩「それで何かあって会社が潰れたら、全従業員が路頭に迷う」
生活の道をなくし、住む家もなく、ひどく困る。「会社が倒産して—・う」