あ、まぁ。
現実には肉体という制限の元それぞれの経験は違うので、同じにはならないと思います。
本人の興味関心もそもそも違うはずです。
どうも、“神様が”自分のことが知りたくて、多方から己はどう見えるのか? と言うところで私たちは分かれたらしいのです。
だから、私は「個」を追求すればいいのです。
神様にそれを持ち帰るのです。
詳しいことは分かりませんが、最初は「無」だったらしいのです。
そこに意識が生まれた。
その意識が、己を知るためにはじめた。みたいな。
と、だいぶ前に読んだ記事のうろ覚えで、ブックマークもせず履歴も消してしまったので確認ができません。
同じ記事を探そうと思いながら……まぁ、やっていません。
そのうち、気が向いたら。←
同じように探している記事もありますが、見つかったり、見つからなかったりします。
あ、私の理解できる範囲で端折った感じなので、詳しいことは専門家へどうぞ。
で、究極のお話にはなりますが、ワンネスの意識で突き詰めて考えたら、
「他人ができる事は自分も出来る」
と言うことになるのかもしれません。
でも、きっと私がしたいのは違うのです。