どうにも解釈違いを感じる彼女。 | 「向こうの景色を見に行こう」

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“ツインレイ”は自分を信じて進みましょう。あなたにはもう、他者の答えは不要なはずです。
「自分を生きる方が面白い」

それは未知です。 誰も知りません。 あなただけが知っている。

あなたの人生を語り合う相手が、あなたにはもういるはずです。

昨日の夜、ツインレイのハッシュタグから新着記事を眺めていたら、気になるワードを見つけました。

私の7人目のツインフレームの彼女が説明していたお話です。

……私はすでにそれを知っている……。←

まぁ、彼女だけがそれを言っている訳じゃない。のだろう。と言うのは漠然と思っちゃーいましたけど、そこに説明されているとああー。となります。

彼女の説明の方が淡々としている。と言うか、魂はこう言う構造である。みたいな話です。

どの説明がいいと言うものではありません。
ただ、私はその話は初見ではなかった。と言うだけです。
 

 

で、他に説明している人はどんなものかと調べて、ついでに彼女の記事も読み返しに行きました。 


いちおう、そのままトップページに行きました。

……( -”-)クッ ←
最新の更新分で、 なんかびみょーに、この記事に絡んだ話をしている気がしますね。

 

「貴方を好きな私が、ここにいていいんだなぁ」と。ぼんやり。

 

 

本人曰く、

「死を求めて生きる」というような感覚

『虚無』『虚空』

『とるにたらん価値のない存在』

 

 

なんかでも解釈違いですね。←
 
たぶん「ある・ない」のはじまりの基準がそもそも違うのです。
 
私は意味がないことをあるに変えて生きてきたのです。
すべてをあるに変えているから、あるのです。
 
これもない、あれもない。と言う確認とは違うのです。
 
 
***
 
別の話になりますが、
 
彼女にとっては、ツインレイの縁は、
それが『神からのプレゼント』
 
らしいです。
 
どうなんでしょうね?
 
そのように言われればそうなのかもしれません。
過程の説明としてはわかります。
 
話としてみれば説明はつきます。
 
 
でも、自分がそうだ。と、ひとくくりにされるとなんか違うのです。
 
やっぱり私は、そうやって神とか外部に発端がある。とする彼女とは分かり合えないのです。
 
いや、理屈で言ったらわかります。
この宇宙の歴史や、元を辿れば。と言うところです。
 
 
だけど、じゃぁ、その貴方と結ばれた縁は、私の人生があったからだろう。と思うのです。
 
私が、私であったから。
 
最初から誰でもいい訳ではないのです。
 
だからこそ、私はすべてを賭けられるのです。
 
 
私は貴方がいいのです。