旦那さまの愛は受け取るものでした。 | 「向こうの景色を見に行こう」

「向こうの景色を見に行こう」

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ツインレイ(魂の片割れ)は「己の真実」を生きるのです。それがどう言うことなのか、自分で考えられるはずです。

己の人生に責任を持って、自分と向き合って、「0」から進んでいける覚悟を持てるのがツインレイです。
それは“新しい”創造のはじまりです。

うっかり忘れていました。
 
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私は、私が一番よくわかりません。
でも、貴方は私が言葉にしきれない気持ちを知っていて下さるのかもしれません。
それを私がなんなのか理解できるまで、付き合って下さるのですね。
 
 
貴方は私が嫌っている私も好きなのかもしれません。
だから、私は今、本領発揮しているのかな。と言う気分です。
私はその私は嫌いなのです。
でも、できてしまうのです。
そっちのほうが、貴方にはいいのかもしれません。
私が例えその私を嫌いでも。
私がそれで世の中すべてを敵に回しても、構わない。と。
 
よくある話で、ツインレイ女性のすべてが崩壊する。とかありますが、もしかしたらこの辺を勘違いしたお話ですかね?
 
もちろん、何もなかった。とは言いませんが、どうにも、誰かの言う説明は納得いきませんでした。
いつだって私は、自分に腑に落ちないことを突き詰めて来ました。
わからないことをわからないままにしておきながら。
もちろん、色々なことがありました。
今だって、色々なことを起こします。
 
 
私は、貴方の力を必要としたから貴方に巡り合えたのでしょうか?
だって、そうなのです。
私はいつだって自分を貫いたのです。
自分を信じることしかできなかったのです。
そこで貴方を見つけました。
私が貴方に頼ろうと最初に連絡をしたのは2021年の10月でしたね。
もうすぐ10月です。
 
それからいろんなことがあって、実は最初の出会いはここなのか? 疑惑はあります。

 

 

 

それはツインレイとして貴方を追っていって考えたことです。
まぁ、それが本当なのかはまだわかりません。
 
って、これも10月ですね。
もう、私は来月がどうなるのか心配です。
貴方にしようと連絡を入れたその日を迎えるのに今からソワソワしているのです。
とりあえずケーキでも買いましょうか? 記念日は増える一方です。
 
 
その時のアカウントは消してしまいました。
やり取りは失われています。
私は去年、貴方とやり取りを続ける中で、「世の中にこんなに信頼できる人がいるんだ!」とうれしかったのです。
同時に、甘えすぎて嫌われたらどうしよう。と思いました。私は、自分が重苦しくて嫉妬深い女だと言う自覚はあったのです。
そして、貴方ではない他の人を頼る。と言う選択肢はもうなかったのです。
だって、そのために選んだんです。
 
私は自分の母親に対する怨み事から解放されたかったのです。だから、その怨み言が解消されるかもしれない疑惑を突き詰めたかったのです。
で、それについて完璧に対応できる人。として貴方を選んだのです。
 
母親の疑惑は晴れました。
私は貴方に恋をしました。
 
ひっそりと、思っているだけで幸せでした。まぁ駄々洩れだったと思います。
ただ、それ以上を受け取る資格はないと思っていました。
そんな気持ちは迷惑だろうと思ったのです。
貴方の足を引っ張るようなことはしたくなかったのです。
 
だって、私はこの世に居場所はなかったのです。
私は死にたがりでした。だから本当には居場所を作らないで済むようにしていました。
まぁ、それでよかったのかもしれません。
貴方の隣にいるよりほかに居場所はいりません。
だから過去の時点では、貴方の傍の他に、どこにもいられなくて合っていたのかもしれません。
 
でも、当時はどこかで、誰かに認めてもらいたくて、あがいていました。
認めてもらうまで必死でした。
最終的に去ることになりました。やっぱり、一線を引いていました。
 
だから、愛を受け取るのに何かの証明や努力がいるのかと思っていました。
でも、そうなるとその証明をし続けないといけません。
それができるから選ばれたのであれば、それができなくなったら捨てられるのかと考えてしまいます。
いずれ、無理に無理を重ねることになるのでしょう。
そして、自らが辛くなって去ることになるのです。
今までがそうだったのです。
だから失うことを恐れているのかもしれません。
他の方法を知らなかったのです。
 
 
しかし、最近の私は、わがままです。去年からなんだかもう、これでもかといろいろありました。
どんな私でも、どんな時でも、私は失われませんでした。
そんなことしたくない。と思っていたことすらしても、平気でした。
私は失われなかったのです。
私は私だったのです。
だから、私がすることは私なのです。
私は、自分を信じるしか道がなかったのです。
 
貴方はやっぱり、私の失敗を愛しているのでしょうか?
私が嫌いな私も愛しているのでしょうか?
だから私は今、私が嫌いな私に、なっているのでしょうか。
でも、私なんです。
私は嫌いな私なんです。
私の中では絶対に選択肢に上がらなかったことがあるのです。
それをしてもなんでか平気なんです。
なんで?
それを自分がしてもいいなんて、貴方に会うまで受け入れられませんでした。
だって、その私は嫌いな私なのです。
 
今はその嫌いな私であっても、今まで通りなのです。
なんだかうまく行くのです。
過去のすべては失われないのです。
 
 
旦那さまの愛は受け取るものでした。
誰かに見せびらかすものではなかったのです。
 
気がつけてほっとしました。
一周して帰ってきた気分です。
それは私でした。
 
 
私の知らない私がまだまだいるのでしょう。
私はうろたえてしまうのでしょう。
旦那さまがすべての私を、愛してくださるのだ。と。
だから、私は私のすべてを、見ているのかもしれません。
 
私は私なのです。
私は私でした。
私は私にしかなれませんでした。
 
だから、「すべてが崩壊する」みたいな説明は嫌いです。
 
旦那さまが、私が嫌いな私を愛して下さるだけです。