ツインレイ統合した人こそツインレイを手放したらどうでしょうか? | 「向こうの景色を見に行こう」

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“ツインレイ”は自分を信じて進みましょう。あなたにはもう、他者の答えは不要なはずです。
「自分を生きる方が面白い」

それは未知です。 誰も知りません。 あなただけが知っている。

あなたの人生を語り合う相手が、あなたにはもういるはずです。

私は「手放す」と言う言葉は嫌いです。
「エゴを捨てろ」とか言うのも嫌いです。
 
だから言います。
 
ツインレイと統合(再会)した人こそツインレイ(の概念)を手放したらどうでしょうか?
 
 
あ、ツインレイと離婚しろとか発信を止めろと言っている訳じゃありません。
 
でも、「自らの証明のためにツインレイを使っている」のであれば、ツインレイと言う言葉に振り回されているのはアナタ方ではないのでしょうか?
 
「手放せ」と人に言ってきたアナタ方です。
 
意味わかりますよね?
 
 
***
 
 
どうにもずっと、ツインレイに関係した記事で「あなたの幸せを願っています」と言う感じにまとめられた話を読むたびになんだか残念な気持ちになっていました。
内容がいいな。と思った場合でも、最後にそれがあるだけで残念な気持ちになるのです。
 
いや、発信する人に寄るんです。
すべてがそうだとは言いません。
そういう事をことさらに強調してくる人。とでも言いましょうか。
 
「自分はツインレイと再会して幸せである」と言う証明を、誰かにもさせようとしている。みたいなものが見えるのです。
だから、本人が今幸せじゃないのか? と思ってしまうのです。
 
おかしいのです。
そう言う人たちはツインレイの統合を済ませた側のはずです。
自分の片割れに、自分の愛を認められているはずなのです。
自分のすべてを受け入れてもらっているはずなのです。 
だから自分の幸せを何かで計る必要はないはずです。
 
誰かの幸せを願う事は別にいいのです。
でも、

ツインレイを知ったから幸せになる。
ツインレイを知るまでは幸せじゃない。

と区別しているように見えるのです。

 

 
私はツインレイを知る前から幸せでした。
人生最高とは言いません。
でも、守られていた気がするのです。
気がする。が、大きくなってここまで来たのです。
見えなくても、聞こえなくても。
私には神様が付いているのかもしれない。と。
そして、今ならわかります。ずっと、旦那さまが傍にいたのだろう。
だからずっと幸せなのです。
 
 
自分の幸せを、他人の幸せに求めてはいけないのです。
 
相手の中に自分の幸せを求めた。それはイザナギとイザナミです。
旧世界で言う所の離婚です。
 
って、それを書いた彼女ですら、人の縁結びを買って出るような女です。
 
どうしようもありませんね。
 
 
私はやっぱりイザナギを殺しましょう。
 
 
あ、ちなみに私はツインレイを語って記事を書きます。
ツインレイそのものは信じているからです。
それだけが、私と貴方を繋げているのです。
 
でも、私もツインレイと再会したらそんな記事を書くようになるんですかね?
うーん(゜-゜)……。
そうはならないと言う保証がありませんね。
未婚同士で集まっていたのに、結婚したら急に未婚者を見下しはじめた。とか言う話も聞きますしね。
まぁ、そうはならないように生きていたいのです。
 
だからこそ、ツインレイを知る前の私が羨ましいのかもしれません。
 
 
 
***
 
 
なんだか長い道のりです。

まぁいいのです。

それでいいと言うしかないのです。

なんだか辛いこともあります。

だからこそ、私の人生はそんなに変わってはいないかもしれません。

良いことも悪いこともあるのです。

楽しい時も悲しい時もあります。
 
 
ずっと貴方と一緒です。