『恋の罪』 | 葛城の迷宮

『恋の罪』

言葉なんかおぼえるんじゃなかった

言葉のない世界

意味が意味にならない世界に生きてたら

どんなによかったか


(田村 隆一 『帰途』 より)


監督:園子温
出演:水野美紀
    神楽坂恵
    富樫真
    津田寛治
    大方斐紗子

そのまさかがまさかなのよ。女は。
仕事中に不倫相手と、ホテルのバスルームでセックスをしていた吉田和子(水野美紀)。
ベッドの上に置かれた彼女の携帯電話の着信音が、部屋に響く。
渋谷区円山町のラブホテル街にある木造アパートで、女性の遺体が発見された、という内容だった。

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刑事である彼女が向かった場所には、凄惨な殺人現場に遺体が二つ。
赤いワンピースを着たマネキン。
頭部や両手、腰から下はマネキンだが、接合された上半身は人間の女性のものだった。
奥の部屋には、椅子に座らせてセーラー服を着せられたマネキン。
こちらは、腰から膝下までが人間で、あとはマネキンのものだった。

そして、遺体の置いてある場所には、血で書かれた謎の漢字一文字。



検視の際に全て合わせると、予想通り二つの遺体は一人の女性のものであった。
しかし、頭部と両手足、内臓、性器は見当たらない。

彼女は最近行方不明の届けを出された女性を中心に、部下と二人で歓楽街での聞き込み捜査を行うことにした。


したい。無性にしたい。何かがしたい。
菊池いずみ(神楽坂恵)は、人気作家の菊池由紀夫(津田寛治)と結婚し、幸せに暮らしているはずの貞淑で平凡な主婦。
由紀夫は自宅では執筆活動をしない主義で、朝7時に家を出て、夜9時ちょうどに帰ってくることを習慣としている。
朝、家を出る際の靴べらを渡す角度、夜帰ってきたときのスリッパを置く位置、紅茶を出すタイミングまで決められている。
「今日は良く出来たね~。最近どんどん良くなってきてるじゃないか~。」

30歳を目前に控えたいずみは、それ以外の時間を持て余しており、生活に空白感を感じていた。
彼女は夫の了解を得た上で、スーパーでパートタイマーの仕事を始める。
仕事の内容は、ウインナーの試食販売だった。

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その仕事中、モデル事務所をしていると語る土屋エリ(内田慈)にグラビアをやらないか、と声をかけられる。
呼び出された先には、キレイに片付けられた部屋にたくさんの撮影スタッフ。
少し安堵したいずみだが、撮影は徐々にハードになり、やがてAVの撮影へと変わる。
恐怖を覚えたものの、同時に充足感を得た彼女は、やがてセックス依存症に陥ってしまう。


オマエは、きちっと堕ちて来い!
セックス依存症となったいずみは、胸元の露わな衣装を纏い、昼間に相手を求めて歓楽街をさまよい歩くようになっていた。
そこで知り合った一風変わった男、カオル(小林竜樹)がラブホテルを選ぶカップルたちを見て不思議なことを言った。
「ほら、この街のカップルは、みんな“城”の入り口を探してる。」

そして、その“城”のことを教えてくれた女性を偶然見つけ、いずみに紹介してくれる。
それが、いずみの運命を変える女、尾沢美津子(富樫真)との出会いだった。

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昼間は大学の助教授として教鞭を取る彼女だが、夜になると渋谷の歓楽街で売春をする娼婦として働いていた。
「本物の言葉は、身体を持っている」
「言葉は身体で感じて理解しないと意味がない」

そう語る美津子。
「愛していない男とヤるんだったら、いくらでもいい。きっちりカネを取れ!」
そう言い放つ彼女の勢いに負けて、「ハイッ!!」と威勢良く返事をしてしまういずみ。

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「オマエはワタシのとこまで、きちっと堕ちて来いッ!!」

やがて美津子は、カオルの経営するデリヘル“魔女っ子クラブ”にいずみを登録させて一緒に働くことになるが・・・







ようこそ、愛の地獄へ。


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1997年に実際に起こった、渋谷OL絞殺事件(東電OL殺人事件)をモチーフに、『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』で日本映画界に衝撃をもたらせた園子温監督の作品である。
現在、事件は逮捕されたネパール人男性の冤罪の可能性が高くなっているらしいが、この作品の中で被害者女性の肩書は、企業幹部ではなく大学助教授に変更されている。

作品の内容がキョーレツすぎて、いつも以上に上手くまとめられません!
なので、ちょこちょことネタバレが出ていると思います!

事件にインスパイアされたのは間違いないのだろうけど、被害者女性の設定だけ借りてきただけで、ほとんどは園子温監督の妄想だろう。
それならば、こんな妄想を作品として成立させる剛腕っぷりは凄すぎる!


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主人公である菊池いずみの家庭は、オフホワイトとネイビーを基本に構成された、清潔だけど地味な家。
退屈な空間で退屈な毎日を過ごしている彼女を演じるのは、清楚(地味)なルックスの神楽坂恵。
元グラビアアイドルの彼女は、出演時間の半分は脱いでいる。
作品のためとはいえ、ここまでやってしまうと「もう、お嫁に行けない!!」と思ったのだろうか。
責任を取って、園子温監督が婚約した。
夫の菊池由紀夫(この名前だけでもバカバカしい)を演じる津田寛治も、名脇役ながらこの作品中では滑稽に見える。
夫婦のやり取りを見ていると、まるで『サラリーマンNEO』のような可笑しみがこみ上げる。


きっといずみは、自分では物事を決められない性格なのだろう。
たま~に見かける、憧れの人の発言だったら、何でもそれが正しいと思い込む人。
「○○が良いって言ってたから、絶対良いはず」
「○○がこうだよって言ってたから、絶対正しいはず」

自分で決めたのではないから、いつまでたっても理解できない。
違和感を感じても、自分が間違っていると思い込む。
そして、売春をするほどまでに堕ちていく・・・

AV撮影で周りから褒めちぎられ、自信を持った彼女は自宅でたった一人、全裸で鏡の前に立つ。
「いらっしゃいませー。試食いかがですか?美味しいですよ!!」
そう繰り返しながら次々とポーズを決めると、どんどん声が大きく透るようになってくる。

この違和感は確かに園子温監督だな。



「オマエはワタシのとこまで、
きちっと堕ちて来いッ!!」

そして、この物語の真の主人公、尾川美津子。
いずみの豊満な身体と較べて、美津子のガリガリに痩せこけて肋骨が浮き出た身体。
菊池夫婦の家とは対照的に、彼女が現れるときは闇と蛍光色に満ちている。
そして彼女が身体を売っていた、木造アパートの畳の一室。
そこに敷かれた一枚の小さく赤いカーペットと、いくつもの蝋燭。

監督は、事件の被害者を彷彿させるような印象を残す女優を探していたのだろう。
それに応えた富樫真は、まるでこの役に人生の全てを賭けたかのような迫真の演技。
ひとつひとつのセリフが、とてつもない説得力を持っていて、頭から離れない。

昼間はベージュのスーツスタイルで教壇に立って、前述の田村隆一『帰途』を解説している。
夜、居酒屋のトイレで服装とメイクを変えた彼女は、
まるで猫が女に化けたかのように、ケバケバしく妖しい。
しかし、彼女もいずみと同じく心に空白を持っている。

父親に自分の愛を受け入れて貰えなかった空白を。

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『恋の罪』というタイトルは、彼女が犯してしまった罪ではないだろうか。
血の繋がった父親を、異性と見て恋に落ちた罪。

まだ学生だった美津子が、父に愛を伝えると、父はそっと一冊の本を彼女に渡す。
それがフランツ・カフカの 『城』という小説だった。

【あらすじ】
主人公の測量士は、雇い主がいる“城”へ向かわなければいけないが、いつまで経っても“城”への入り口が見つからない。
衛兵や近くの村人たちにも翻弄されて、見えている“城”になかなか辿り着けない。



そりゃ、そうだろう。
カフカの『城』は未完なのだから、
いつまで経っても主人公は城には辿り着かない。

(なので未読です)

きっと父は、このままでは娘は一生自分の進むべき道を見失うと思って、この本を渡して諭そうとしたのだろう。
しかし、恋のために盲目となった美津子には、“城”の意味が見えない。
そのために彼女は、とてつもなく大きな“業”を背負ったまま、その後を生きている。

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愛する父親を失ってしまった美津子は、永遠に“愛のあるセックス”ができない。
いずみに対して言った、
「愛のないセックスをするからには、金をとれッ!」
というセリフは、その裏返しなのか。
まだ愛というものに対して、彼女は甘い幻想を抱いているのではないかと思える。

そして、いずみを決定的に闇へ引きずり込むために言い放つこのセリフ。
「オマエはワタシのとこまで、
きちっと堕ちて来いッ!!」

美津子は奈落に落ちたが、底辺近くで“売春”という逃げ道を見つけてもがいている。
完全に底まで落ちたら、“虚無”しかない。
孤独の恐ろしさと業の深さに耐えきれず、いずみを同じ奈落に引き込み、自分と同じところまで堕ちるように仕向ける。
律儀な彼女は、美津子と同じ場所まで堕ちていくが、もうそこには美津子の姿はない。
いずみは理解さえしていない、“城”の入り口を探して永遠に彷徨うのだろう。

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エロもグロも怒涛の勢いで描写されるのに、最も印象に残るシーンがある。
露出の高い服装を着ているいずみを、美津子がお茶に誘うのだ。
「私、こんな格好をしてるから・・・」と言って遠慮するいずみに、
「母は私のことを全て知っているのよ」と言って安心させる美津子。
昔からあるような立派な屋敷のダイニングで、カオルと母親を含めた4人の会話。

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美津子の母親を演じる大方斐紗子が凄まじい。
「カオルさん。最近お仕事の方はどう?売春のお仕事は上手くいっておりますの?」

「わたくしも若かったんですね。両親は結婚に反対でした。家柄も身分が違いすぎると。
なのでこの子の父には、婿養子という形で当家に入ってもらいました。」


「この子の父親は、それはそれは下品な人間でした。
この子はその血を受け継いだんですね。」


「この子も父が死んでから10年間、
毎日泣いてばかりいましたけれど、
売春を始めてから顔色が良くなりましてね」


「クソババァ、早く死ねよ」

「あなたこそ、早く死ねばいいのにぃ、ねぇ~」


実はこの人が登場人物の中で、いちばんの怪物である。


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神楽坂恵のカラダと富樫真の強烈なキャラクター。
残念ながら、水野美紀演じる和子は、物語を進めるためと話題を集めるために作られた存在でしかない。
しかし、一般の人と同じ目線で見るには、彼女しか適当な人物がいない。
和子の不倫は、堕ちていった彼女たちに較べたらまだ戻れる範囲だ。
充実した仕事と円満な家庭を持ちながらも、夫の後輩と不倫をしている和子。

終盤、彼女は出し忘れていたゴミ袋を持って、いつまでたっても追いつけないゴミ収集車を追いかけて行く。
そのうち家からかなり離れた場所まで来てしまったと気付いた時、こう思ったのではないだろうか。
「わたし、何をしていたんだろう・・・」と。

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冷静に考えたら詰めの甘い部分もあるけど凄まじい勢いで前へ出てくるキャラクターと、
強烈な吸引力を持った演出が、エログロさえも上回って、
あっという間に144分が経っている。
マーラー 『交響曲第5番』の使い方が、違和感を感じさせつつもそれが心地良く、印象的だった。
映像や音響も含めて、強烈な作家性を限りなく一般的に観れるように工夫されている。
(それでも興味を持つ人は、かなりのマイノリティだな)

でも、これだけ感想を書いてみても、思った感情が上手く言葉に表せていないように感じる。

冒頭にある田村隆一の詩を思い出した。
『帰途』は、こう締めくくられる。



言葉なんか覚えるんじゃなかった

日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで

ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる

ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる






最近記事が長くて悩んでたんだけど、今回めっちゃ長いやん。
次はサラリとした作品を書こう。

「ワタシのとこまで、
堕ちて来いッ!!」

今年の流行語大賞に決定だな・・・



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