七福神は京都で設定されたものであり、その起源には諸説ある。
七という数字に定まったことについても諸説あり、基本的には江戸時代に定まったようだが、その数もしばらくは不安定なものだった。
全国にも多くの七福神巡りがあり、京都の中だけでもいくつか存在している。
その中でも最も有名なものが「都七福神」である。
都七福神では「都七福神まいり」として各寺社に朱印が存在している。
それは次の通り。
  • ゑびす神 ゑびす神社
  • 大黒天 松ヶ崎大黒天
  • 毘沙門天 東寺
  • 弁財天 六波羅蜜寺
  • 福禄寿神 赤山禅院
  • 寿老神 革堂
  • 布袋尊 萬福寺
専用の朱印帳もあり、一部を除く都七福神の寺社で購入出来る。
集印方法は他にもあるのでそれぞれにあったスタイルで巡ってみると良いでしょう。
もちろん通常の朱印帳にも書いて頂けますし、紙で頂くことも可能のようです。
都七福神は正月や一月中にまわると良い、みたいなことを言われますが、そのことについて聞いてみたところ、「あまりこだわらなくても良いですよ」とのことでした。
順番についてもこだわらなくても良いようです。
因みに私は専用の朱印帳でまわりました。(時期はかなり空いちゃいましたが。。。)
この朱印帳には七福神の絵が描かれています。見開きの朱印では無いですので勘違いされないようにしてください。
 
都七福神まいり 専用朱印帳
 
それぞれの寺社の朱印はまた後日記事にしたいと思います。

 
ゑびす神 ゑびす神社
 
ゑびす神 ゑびす神社

 

 


 
大黒天 松ヶ崎大黒天(日蓮宗松崎山妙円寺)
 
大黒天 松ヶ崎大黒天
 
 

 
毘沙門天 東寺(東寺真言宗八幡山金光明四天王教王護国寺秘密伝法院)
 
毘沙門天 東寺
 
 

 
弁財天 六波羅蜜寺(真言宗智山派補陀洛山六波羅蜜寺)
 
弁財天 六波羅蜜寺
 
 

 
福禄寿神 赤山禅院(天台宗延暦寺別院赤山禅院)
 
福禄寿神 赤山禅院
 
 

 
寿老神 革堂(天台宗霊麀山行願寺)
 
寿老神 革堂
 
 

 
布袋尊 萬福寺(黄檗宗大本山黄檗山萬福寺)
 
布袋尊 萬福寺
 
近年、朱印に対する注目が集まっており、もはや「ブーム」と言っても良いくらいに認知度は高まってきたのではないだろうか。
TVなどのメディアでも取り上げられ、雑誌などでも特集が組まれ、書店には朱印に関する書籍が目立つようになってきた。
現在のこの朱印に対する現状は賛否両論である。
寺社サイド、参拝者サイドでの立場の違いも含めるとその意見は本当に様々である。
とある寺で朱印を書いて頂いてくださってる時に書き手の方に
「最近朱印が流行ってますが、お寺さん的にはどうなのですか?」
と、軽く聞いてみたことがあった。
「非常にありがたいですね」
との回答であった。
しかし人が増えれば増えるほどマナーに関する問題なども多くある。
例えば「参拝をしない」。単に朱印を貰ったらそれでOKという人が多すぎるという点。
これが非常に問題である。
 
朱印の起源については諸説あるが、よくいわれるのが「寺社に写経を納めた際の受付印」である。
そのため朱印は「納経印」ともいうし、朱印帳も「納経帳」とも呼ばれることがある。
現代ではかなり簡略されているということは常に頭に置いておきたいものだ。
神社ではきちんと本殿でお参りをする。(基本は二礼・二拍・一礼)
寺ではご本尊に手を合わす。
これらの最低限のことはしておきたい。
 
ただ、寺ではご本尊が公開されていないケースも多いので注意したい。
寺社サイドの都合などもあるので、ケースバイケースかなとも思う。
希に目的の朱印が頂けないからと怒りをあらわにしておられる方もおられるようだが、これは完全なお門違い。
寺社との関わりは全て「縁」である。と普段から心がけていると朱印にしても「縁」であると思えるようになってくる。
 
私が朱印を集印始めたのは2012年のことだった。
朱印が徐々に流行始めた頃だっただろうか。
私は京都家紋研究会を立ち上げ、会員とともに各所の墓地を巡り始めていた頃だった。
墓地へ行くということは寺へいくことであり、神社にも自然と足が向くようになっていた。
様々な寺社に訪れると目に付くのが「朱印」という文字。
どうやら朱印というものがあるらしい。当初はその程度の認識でしかなかった。
現在当会の副会長が「森本さん、朱印を集めてみようと思ってるんですよね」と言い出したことがある意味きっかけだったかもしれない。
また同じようなタイミングで知り合いの方が神仏霊場会に関わっておられ、朱印についての簡単に教えて頂いたことも背中を押す形になった。
気づけば寺社に訪れると必ず頂くようになっていった。
 
気づけば「朱印」を目的としている自分がいたことも間違い無い。
毎日のようにインターネットで朱印の情報を収集していた時期があった。
そこで思い立ったのが「全国は無理にしても京都府下の朱印の情報を全て網羅することが出来ないだろうか?」ということだった。
私自身が京都府下の朱印全てを集印するつもりまでは無いのだが、いつでも京都の朱印であれば、チェック出来るものが欲しいなと思ったわけだ。
例えば前情報何も無しに訪れることになった寺社などをその場で朱印があるかどうか、どんな朱印があるかチェック出来れば助かる。
そんなサイトが欲しかったのだが、残念ながら完全に網羅したサイトは見当たらない。
2014年にそのサイト作りを始めたのだが、その頃からか様々な寺社で「限定朱印」が非常に増えてきたのである。
あまりのその多さにウンザリしてきたのも事実だ。
 
今回私が朱印ブログを始めたのは私自身が「家紋朱印帳」というものを作ったからだ。
朱印に対する気持ちがまた復活してきたといったところだ。
 
私はあくまでも「家紋研究家」であり「朱印研究家」では無い。
朱印は集めるものではなく、集まるものだ。
とよく言われている。
だからといって朱印目的で行動することが悪いことであるとは私は思わない。
現存している寺社は後20年もすれば半分以下になっているのではないだろう、ともいわれる。
それだけ現代の日本人にとって寺社が不要なものになってきている。
言い方は少し悪いかも知れないが、現在のように朱印がブームになっていると、これまで寺社に興味が無かった方も寺社に対して目を向けることが増えてきていることに違いは無い。
その結果、少なくても朱印によるお金が寺社に入り、それは寺社存続に繋がっていくと思いたい。
 
とはいえ、寺社サイドもある程度は節度は持って欲しいようにも思える。
過剰な「限定朱印」の存在。
私も頂きに行くので完全否定はしないが、疑問を持つことも多い。
 
私が集印する目的の一つが「寺社との関わり」である。
「朱印お願い出来ますか?」
とお声がけするきっかけが出来るのは非常に大きい。
家紋の調査やお尋ねしたいことがある寺社さんでは朱印を頂くことできっかけを作りやすいのである。
 
後は単純に朱印が集まっていくのは非常に楽しい。
時折、今までに頂いた朱印を見ると、記憶が再生されることも多い。
「あの時は朱印を頂いた流れで、そのまま2時間寺にいたなぁ~」「秘仏見せて貰ったなぁ」など思い出すきっかけにも良いし、日付が記載されているので、それもありがたい。
 
朱印を楽しむだけではなく、寺社さんへのきちんとしたお参り、そして興味を持つことがやはり大事。
このブログが少しでも集印されるかたの役に立てば私も嬉しく思います。
 
 
PS.
10月某日にとあるお寺さんで朱印についてお話させて頂くことになりました。
詳細は後日お知らせ致します。
鷲峰山 高䑓寿聖禅寺(じゅぶさん こうだいじゅせいぜんじ)
 
高台寺で見られる紋
臨済宗の宗紋は私の調べた結果では無い印象。
それぞれの自院で設定されていることが多いようだ。特に目立つのは「五七桐(ごしちきり)。
高台寺では五七桐(左)を寺紋として使用している。
高台寺境内や寺宝には「五七桐」を入れたものが多く存在するが、基本的に形状は一定ではない。
現代では江戸時代頃から出現した紋帖(日本の紋章の形状と紋名のみを収録した書物)が出現してから、紋の形状は安定してくる。それまでの紋は描く者によっても微妙な違いがあった。
特に豊臣秀吉は五七桐を多用し、その形状も様々であった。そのためか高台寺境内で見られる五七桐は様々な形状をしている。
高台寺で多く見られる五七桐紋は左から二つめのようなものである。(画像は高台寺の瓦よりトレースしたもの)
勅使門見られる紋
高台寺で見られる紋で私が疑問を持っているのが勅使門に刻まれる紋である。
画像でいうと左から三つ目のものである。
勅使門には向かって右に五七桐(形状でいうと「五七鬼桐」:画像では左から四つ目))で、向かって左には「変わり三つ葉藤」が刻まれている。
藤原氏を示すような紋であれば素直に「下がり藤」を使用するのでは無いかと思う。
私が想像してみたのはこれはもしかして「ねね」の紋なのでは?ということだった。つまり「女紋」である。「女紋」は主に関西を中心とする西日本に存在する習慣で、家紋とは別に女性だけが所有する紋である。
紋帖では藤となっているこの紋だが、実は桐紋ではないだろうか、と考えた。
さらにいうと、女紋では「三つ○○」のような形状のものを使うことが多い。
とはいえ、これは妄想レベルの話だし、他にもこの紋が見られないためなんとも言えない。(寺宝にあれば可能性は高まりそうだが)
この勅使門は伏見城より移築されたものであるという。
伏見城について調べれば何かヒントが出てくるのだろうか?
いずれにしてもこの紋の正体は不明である。何かご存じの方はご一報頂けると幸いです。
(後日また何か分かれば追記したいと思います)
 
通称「高台寺」として知られる寺。
廃寺となった雲居寺(うんごじ)の跡地に建立された寺であり、秀吉が正室である北政所(ねね、おね)のために建てたという話はあまりにも有名。
本尊は「釈迦如来」。一説にはねねの眠る「霊屋(たまや)」の大随求菩薩坐像が本尊であるという話も。
この霊屋だが、実は古墳の上に作られたものであるともいわれる。この付近には八坂古墳群があり、京都では珍しい方墳であるという。

さて、朱印は次のもので、「仏心」と書かれる。
また、2016年は夏の限定の朱印がある。7月9日(土)〜9月30日(金)の期間であるらしいが、枚数に限りがある(枚数不明)であるため、頂きたいと思っている方は早めに頂いておくと良いのでは無いでしょうか。
こちらの朱印は「高台天神」横の売店にて頂けます。
 
朱印:高台寺
高台寺朱印「仏心」
 
朱印:高台寺夏季限定
高台寺夏季限定朱印「慈」

高台寺塔頭:圓徳院(えんとくいん)
 
北政所の終焉の地。
また秀吉の守り本尊という三面大黒天が境内にある。

こちらでも朱印頂けます。
朱印:圓徳院

高台天神(こうだいてんじん)
天満宮の神紋:星梅鉢
道真を祀る神社は梅紋、特に星梅鉢という紋が使われるケースが大多数である。
 
高台天神
北政所が崇拝していたという綱敷天満宮(どこの綱敷天満宮?)から勧請した天満宮であり、高台寺の鎮守社。
本地の十一面観音菩薩は行方不明のようです。
こちらの朱印は今夏登場したもので、売店にて頂けます。
朱印:高台天神
 

今宮神社(いまみやじんじゃ)
 
祇園社系神紋
神紋は「五瓜に唐花(ごかにからはな):別名「木瓜(もっこう)」と「左三つ巴(ひだりみつどもえ)」。
祇園社系統、つまり素戔嗚尊(明治以前は牛頭天王)を祀る神社で見られる紋。
 
今宮神社(右京区)
今宮神社といえば、大徳寺の北西、あぶり餅で有名な北区の今宮神社を想像するだろう。
実は京都には今宮神社は三カ所存在する。(私が知らないだけでもしかして他にも?)
一つは北区の今宮神社、一つは左京区の吉田神社の二之鳥居を潜って左手にある「今宮社」。
そして右京区の今宮神社である。
こちらの今宮神社は法金剛院と妙心寺の中間辺りにある。
 
本殿
 
かつては「祇花園社(ぎけおんしゃ/ぎはなぞのしゃ)」や「花園社(はなぞのしゃ)」とも呼ばれていた。
祀神は素戔嗚尊。廃仏毀釈前の明治以前はやはり牛頭天王である。
 
初めて訪れた時はご不在で朱印は頂けませんでした。時折おられない時があるようです。
 
朱印:今宮神社(右京区)
 
 

如意山 補陀洛寺 通称:小町寺(にょいさん ふだらくじ こまちでら)
 
補陀落寺の紋
左より天台宗の宗紋「三諦星」。右側は寺紋なのか不明。境内で見られた紋をトレースしたもの。
 
山門
 
通称「小町寺」として知られる寺。鞍馬街道にある寺でその名の通り「小野小町」縁の寺。
小野小町終焉の地と伝わる地である。
この地は元々「市原野」と呼ばれる地であり、葬送の地である。
「野」が付く地の多くは葬送の地であり、京都においては三大野と呼ばれる葬送の地がある。
「鳥辺野(とりべの)」「蓮䑓野(れんだいの)」「化野(あだしの)」の三カ所である。
市原野は主に小町寺の有る小山と鞍馬街道を挟んで西側の小山であり、元々は一つの山で山そのものが葬送の地であった。
鞍馬街道を開通する際に山は別れた。
元々この小町寺は寺では無く、葬送のためのお堂だったそうだ。
鞍馬山の寺(天台宗の寺。すみません。寺名忘れました)が現在地に移動し、寺名なども変わったとのこと。
 
本堂

ご本尊は阿弥陀如来。
こちらの寺の目玉は「小野小町老衰像」。
 
小町老衰像

また小野小町verの「九相図」もあります。(通常は檀林皇后の九相図が多い)
 
小町九相図

拝観は無料ですがご住職がお忙しくされていることも多くおられないこともありますので、事前にご予約された方が良いかと思います。
 
朱印:小町寺